JINSEI STORIES

滞仏日記「妖怪よりも怖い住人に待ち伏せされて、逃げられない父ちゃん、危機一髪」 Posted on 2022/06/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、下の老夫婦(元カイザー髭とハウルの魔女)は先週末にパリに戻ったはずだった。
いるとさすがに歌えないので、いなくなって、「やった、これで思う存分歌える」と安心していたら、今日の昼頃、SMSが入った。
「戻ってきたよー」
この呑気なメッセージ・・・。
「まだ3日か4日しか経ってないじゃないですか?」
「パリは暑いから、戻ってきたよー」
戻って来ないでいいけど、他人のぼくがとやかく言える話じゃない。散歩の途中だったが、がっかりした父ちゃんであった。
仕方なく、家路についた。
この人たち、家にいるのに、必ず建物の門にも施錠をする。案の定、玄関に鍵がかかっていた。
めんどうくさい。
とにかく、あらゆることに事細かなご夫婦なのである。
管理人不在の建物なので、彼らが管理組合長をやっている。
そういう人がやっているからこそ、安心して暮らせるので、文句を言っては罰が当たる。
鍵を開けて、階段を上ると、上の方で、がちゃがちゃ、とドアの開く音が・・・、えええ、出てこなくていいのに・・・。
4階まで登ると、
「クックー(ヤッホー)、おかえりー」
と元カイザー髭、つんと左右にはねあがっていた髭を剃って、普通のおじさんになっている。
ぼくは苦笑をした。
家族でもなんでもないんだから、家の前で立って待たないでほしい。そう、思いませんか?
すると、その後ろから、ハウルの魔女が、こちらはいつ見ても、あのアニメそのままなのだけど、くりそつのハウルの魔女さんが、にゅっ~と顔出して、しかも、やたら低い声で
「あら~、おかえりなさーい」
と笑顔で言うのだった。
二人は玄関の踊り場に並んで立って、上がって来るぼくを待ち受けている。
「うううううう」
三四郎が、敵対的な唸り声をあげた。
「しっ、さんしー」

滞仏日記「妖怪よりも怖い住人に待ち伏せされて、逃げられない父ちゃん、危機一髪」



「わん!」
「三四郎、大丈夫、この人たちはご近所さんなんだよ、泥棒とか悪霊じゃないんだ」
とぼくは日本語で説得した。
カイザーとハウルは、微笑んで、
「まあ、元気なわんちゃんね」
と嬉しそうだ。やれやれ・・・。
三四郎を抱きかかえ、二人の前に立った。というか、行く手を遮ぎられているので、通過できない。
4階は踊り場があり、4つのドアがある。
一つは5階のぼくの家にあがる玄関。ちょっと奇妙なのだけど、彼らの家はサロンと寝室とトイレが踊り場で分断されている。なので、踊り場は共有スペースなのに、半ば自分の家のように使っている老夫婦であった。
ビーチなんかで使う折り畳み式のビニールのビーチチェアなんかが時々、置かれあって(狭い踊り場なので、それで塞がれてしまう)、そこで二人で並んで寝そべり、ビールとか飲んでいるのだから、困っちゃう。どう思います?
「戻ってきたよー」
「あはは、そうですか、パリ、暑いですものね」
「そうなのよー。ココが涼しくていいわ」
「あはは(どいてよ、ぼく、犬抱えて立ってるんだけど)・・・」
二人は笑顔で、ぼくの行く手を封鎖している。
「あの、君、ギター新しくしたでしょ?」
「え? ああ、しましたよ。ヤマハのクラシックギターに」
「いいね、とってもいい音だ。ぼくもね、シンセかえたんだ」
知らんがな・・・。
どうでもいいのだけど、一応、微笑んでおいた。
「あ、ライブが近いので、歌の練習をしていますが、うるさくないですか?」
余計なことを訊いてしまった、と後悔したが、ちょっと、遅かった。
「この間、ラヴィアンローズ歌ってたでしょ?」
「はい、今度、歌う予定なんですよ、日本で」
「いいね、ぼくも大好きだよ」
「わたしも好きよ。エディット・ピアフ」
(あの、重い。どいてください‥‥)
ぼくらは笑いあった。ぼくはひきつっていた。

滞仏日記「妖怪よりも怖い住人に待ち伏せされて、逃げられない父ちゃん、危機一髪」



「どんどん、練習してくれて構わないよ。わしらは音楽大好きだから」
「え、ああ、ありがとうございます」
「でも、日中だけにしてね、夜の22時までは歌っていいわ。その後、私たちは寝るから静かにね」
「はい、もちろんです」
とにかく、強行突破しないと家にいつまでも辿り着けない。
二人の間が一メートルほどあいている。そこを突破するか。
ぼくは身体を斜めにすると、抱きかかえていた三四郎が二人の真ん中を突っ切るような形になった。
少しずつ、歩を進め、二人の間に割って入った。
すると、ぼくの顔目掛けて、元カイザーが言った。
「よかったら、わしとセッションやらんかね。わしがピアノを弾くから、君がギターと歌で、うちの妻がコーラスってのどうかな」
・・・なんだってェ?
ここは返事をしちゃいけない。
聞こえないふりをして、三四郎を抱え直し、急ぎ足で、ぼくは二人を振り切ることにした。
「それはいいアイデアだわ。セッションやりましょうよ。聞きたいわ、ラヴィアンローズ!」
ハウルの魔女が合いの手を打った。
二人が冒頭のメロディを口ずさみ始めたので、慌てて、鍵をぶっこみ、回して、ドアを開けた父ちゃんであった。
「あ、いいですね。でも、今日はちょっと仕事があるから、また、今度」
笑ってごまかしながら、なんとか、切り上げようと必死な父ちゃんだったが、カイザー髭が、寂しそうな顔で、ぼくを追いかけてきて、
「実は、一緒に演奏したくて、戻ってきたんだよ。パリにいてもつまらない。どうだね、とっておきのワインがあるから、アペロでもしながら、音楽談義に花を咲かせようじゃないか?」
と訴えるのであーる。
ひゃあああああ、そのために、戻ってきたんか~、おら、一応、プロなんですけど~。
「あはは。いいですね。今日はでも、無理なんです」
「じゃあ、明日」
「え?あ、明日はもう、パリに帰るんですよ!!!!」
帰るつもりなんかなかったのだけれど、そういう、理由でぼくはパリに帰ることになってしまったのであった。
あはは・・・。

滞仏日記「妖怪よりも怖い住人に待ち伏せされて、逃げられない父ちゃん、危機一髪」



滞仏日記「妖怪よりも怖い住人に待ち伏せされて、逃げられない父ちゃん、危機一髪」

ぼくは家の中に入り、ドアを閉め、鍵をかけた。
妖怪よりも怖い、現実の世界なのである。
ぼくは、明日、パリに帰ることになるかもしれない。せっかく、ゆっくりとしたかったのに、これでは、ゆっくりなどしていられない。前途多難、というやつである。
ということで、家に閉じこもり、ぼくは「釜揚げうどん」を作って、食べることになった。
冷蔵庫に鶏肉があったので、ついでに得意の鳥天も作った。
釜揚げうどんはめっちゃ美味しかったが、この後、どうしたものであろう・・・。
こういうのを災難というのかもしれませんね・・・。彼らはいい人たちなのですけど。

つづく。

とほほ、今日も読んでくれてありがとう。
発売前のエッセイ集「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」ですが、発売前に、大幅増刷が決定しました!
生まれてはじめての経験です。Amazonで一番になったのも、発売前増刷もはじめて、・・・嬉しいね、皆さん、ありがとう。
イラストが、かわいいので、お楽しみに。
それから、
父ちゃんのYouTubeパリ・ライブ、下のURLからご覧いただけますよ。

Jinsei Tsuji Hitonari【Live in Paris 2022】Ver.1

https://youtu.be/syEP1_-ZPog

Jinsei Tsuji Hitonari【Live in Paris 2022】Ver.2

https://youtu.be/x1lNvaIJquA

さらに、
『ボンジュール! 辻仁成のパリごはん 2022春』見逃した皆さん、2週間、配信があるようです。
【NHKオンデマンド】6月18日18時〜2週間配信
 会員登録が必要で、単品利用の金額は1本220円かかってしまいます。すまんです。
そして、そして、
父ちゃんのオンライン。エッセイ教室は、6月26日、今週の日曜日に、パリからオンラインでエッセイ教室を行います。
ブロガーの皆さん、エッセイスト目指している皆さん、プロ・アマ問わず、エッセイが好きな皆さん、どしどし、ご参加ください。
詳しくは下の地球カレッジのバナーをクリックくださいね。
良い一日でありますように~。

地球カレッジ

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