JINSEI STORIES

滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」 Posted on 2022/07/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、三四郎を預ける日がやって来た。
三四郎は朝から、元気がないうえに、パリは大雨であった。
まるで父ちゃんの寂しさを代弁するような天候であった。三四郎も知ってか知らずか、何か、悲しげな眼差しでぼくのことを見上げている。(たぶん、ぼくが暗いから、それがこの子にもわかるのだろう)
朝の散歩からどんよりとした二人であった。
忙しくていたので今日がその日とわかっているのだけど、次々と現実が打ち寄せてきて、忙しさに忙殺されて、悲しくなる間さえもなく、今日に至ってしまった。それはそれで助かったけれど、その反動に見舞われた一日となった。
昼、三四郎が夏に食べるドッグフードを買いに行った足で、新しいアパルトマンの銀行保証の手続きに銀行に立ちよったが、ぼくもいなくなるし、銀行の担当の人も夏休みになるので、結局、銀行保証の手続きが8月末までできないことが判明してしまう。
(銀行保証の手続きには一月間かかり、ぼくが対面でサインをしないとならないのである)
こんなバタバタの中で、新しいアパルトマンの契約などできない、というような、今更だが、ここに来て、とんでもない状態になってしまった。
あとは大家さんの考え方次第なので、先方が9月を待てないなら、ぼくらの契約は超残念ではあるがここで終わり、ということになる。
こんなに頑張っても、どうしようもない壁に再びぶつかってしまった父ちゃん。やれやれ。しかし、今はそんなことよりも三年ぶりのライブをやるために日本に戻ることが先決だし、なによりもドッグトレーナーのジュリアに三四郎をゆだねることが大切なので、銀行から出た瞬間、新しいアパルトマンのことは一旦、忘れることにした。一旦である。ポイっ。(凄い展開でしょ? それが人生というものなのです)

滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」



まだ3,4日、パリにいるのだけれど、ジュリアの都合で今日という日が指定された。
夏休みに預かる犬たちとのイベントが続くのだそうで、どうしても今日にしてほしい、と言われてしまった。
ひと月半、もしくは仕事の進み具合ではもっと日本にいないとならない。
これまで半年間べったりだったから、ぼくは寂しくてしょうがない。
しかし、一方の三四郎は大好きなジュリアの家に行き、仲間の犬たちとの夏合宿が始まることになるわけで、もしかするとハッピーな夏になるのかもしれない。
こんな辛気臭い62歳のおやじといるよりは間違いなく楽しい夏の到来である。
ううう・・・。
「三四郎、半年間、幸せだったかい?」
「・・・」
つぶらな目で見上げてくる。
「三四郎、ジュリアの家ではみんなと楽しく学んで遊んでくるんだよ」
「・・・」
「おお、サンシー、寂しいなァ」
「・・・」
「でも、また夏の終わりに迎えに行くからね」
「・・・」
「ぐすん・・・ざびじー――」
だから、ぎゅっと抱きしめたり、いつもよりおやつをあげたり、なんとなくそわそわ、普通にできない父ちゃんなのであった。
刻々と時間が近づいてきた。ぼく自体が、そのせいで疲れ切ってしまいそうな一日であった。そして、最後のドッグフードを与えて、ぼくはついに三四郎をジュリアの家へ連れていくことになった。
ああ、もうだめだ。・・・

滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」



三四郎を助手席に乗せた。
「三四郎、今日からジュリアの家で他の犬たちと夏を過ごすんだよ。いいね、お願いだからパパしゃんのこと忘れないでくれよ」
なんとなく、三四郎も元気がない。
今日は朝からずっとぼくがお願いをしているから、様子がおかしいなァ、と思っているようなのである。
「いいかい、また、秋から一緒に暮らそうね」
「・・・・」
三四郎は目をそらした。それから、考え事をし始めた。
まるで分かっているようなそぶりに見える・・・。
自分の気持ちが鏡のように反射しているだけかもしれないのだけれど、・・・。

滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」

滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」

滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」



滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」

※ 三四郎のこの夏の朝と夜のお弁当セットなり・・・。ううう。

ぼくはもくもくと運転をし続けた。
三四郎は珍しく、微動だにしなかった。
そして、ジュリアの街に到着した。三四郎の食事をとりあえず50食分、多めに小分けして、詰め込んである。こんなに食べるんだ、とその重みがのしかかってきた。
ジュリアがいつものように、門の前で待っていた。
「やあ」
「サヴァ(げんき?)」
「サヴァじゃないよ」
ぼくは笑った。
「寂しくて、ぜんぜんサヴァじゃないけど、よろしくお願いします」
「ムッシュ、毎日、必ずビデオとか写真を送るから心配しないでください。私が大事に面倒をみるので」
「ぐ、ぐすん・・・」
泣きそうになるのを必死でこらえ、そのままリードをジュリアに渡した。ぼくはもう、三四郎を見ないで、歩き出していた。三四郎はジュリアといつもるんるんで家に消えるからだ。でも、三四郎はジュリアの家族にも仲間の犬たちにも愛されているので、それはそれでよかったじゃないか・・・。ぼくは自分に行かせながら、角を曲がろうとした。そして、一瞬、ジュリアの家の方を振り返ると、・・・と、・・・・と、・・・
三四郎がジュリアの横で座って、ぼくをじっと見送っていたのである。
「ああ、さんちゃあー-ん」

滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」

つづく。

ということで人生は毎日、大変の連続ですが、自分を励ましながら、乗り切っていきましょう。きっと笑顔で三四郎とは再会できるような気がするのです。日本の皆さん、もうすぐ、戻ります。
さて、お知らせです。
新刊「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」、全国書店に並んだようです。さっそく、新宿の紀伊国屋書店の平積み写真が届きました・・・あはは。笑顔。
そして、もう一つ、オンライン講演会のお知らせです。
地球カレッジ二周年記念、ざわざわと話題になっている講演会形式のオンライン小説講座ですけど、詳しくは下の地球カレッジバナーをクリックください。
受講生の皆様の中から、当日現地に来ることが可能な40名の皆さまを、抽選で、生講義にお招きしたいと思います。
ううう、さんしー。

地球カレッジ

滞仏日記「さよなら三四郎、また会う日まで」

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