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滞仏日記「ついに、お手伝いさんが見つかった? 主夫業から解放される日が迫る・・・」 Posted on 2021/10/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子が帰ってきた。
「おかえり」
「ただいま」
いつもと変わらない日常の一コマである。
「どうだった?」
「うん」
で、おしまい。
何が、うん、なのか、親は想像をしないとならない。
親というのはつねに想像力が必要なのである。
何気ない日々の「うん」の中に、変化を嗅ぎ取るというか、学校でいじめとか、友だち関係に問題がおきてないか、成績とか、その「うん」から判断をしないとならない。
でも、今日の「うん」はまぁまぁ元気な「うん」だったので、上々だったに違いない。そうか、ならばよかった。
「問題ないね?」
「うん」
「冷蔵庫が変わったの気づいた?」
「うん」
やれやれ。



午後、家政婦さん候補の2人目、エリックさんと待ち合わせた。カフェとかじゃなく、彼が掃除をしている建物の前で、という約束である。
時間ジャストに、アジア系の男性が建物の奥から顔を出した。お、この人だな・・・。彼は元大臣の家の掃除をしているのである。
「ボンジュール」
すると、優しい笑みを浮かべて、ちょっと大人しめに、ボンジュール、が戻ってきた。
男性の家政婦さんには抵抗がある父ちゃんだったけど、印象、悪くない。
ちょうど、もう一人のモロッコ人女性からも、SMSが入っていたけど、まず、一人ずつ、会うのがいいだろうと思って、そっちは返事を戻してない。
「まがんだんはぽんぽ」
ぼくが知っているフィリピン語で、挨拶をすると、ふわっと、笑顔になった。
ぶわーーっとフィリピン語が戻ってきたので、ぼくは英語で、いや、ちょっとしか話せないんだ、と言い訳をしないとならなかった。
でも、遠路はるばる海を渡ってここまでやってきたこの人の人生を一瞬、垣間見た気持ちがした。ぼくも一緒・・・。
祖国の言葉がうれしかったのであろう、それが、異国で生きるということだ。
ぼくらは世間話しをした。目の前がカフェなので、お茶でもしようか、と言ったら、
「いや、ぼくはここでいいですよ。もったいないし」
と戻ってきた。
いい感じである。

地球カレッジ



先日、面接をしたモロッコ人のファティマは一時間17ユーロであった。
値段の話しからするのは恐縮だけど、
「週二回、お願いしたいんだけど、可能? 一時間の謝礼はどのくらいですか?」
と率直に訊いてみた。
「週二回は難しいんですけど、土曜日なら、何時間でもできますよ。一時間15ユーロです」
心の中で、え? 15ユーロなんだ、そうだよね、17は高いな、と思っていたので、この正当な金額に安心した父ちゃんであった。
ぼくの友人のデザイナーさんに、そっくりな顔の人がいて、笑った時の、ちょっと気恥ずかしそうに顔がくしゃっとなるところとか、日本人的にはよくわかるリアクションで、ポイントが高かった。もう、その瞬間、彼でいいな、と決めてしまった、父ちゃん。ちょっと鼻毛が気になったけど、ま、いいんじゃないの・・・。
「奥さん、妊娠されてるんですってね? ここの管理人さんに聞きました」
「そうなんです。なので、べったり働けないですけど、週一なら出来ます。どんなことしますか?」
「シングルファザーでね、今まで、大変だったから、手伝ってもらえるなら、それだけで心強いですよ」
「なんでもやりますよ。言ってください」
「息子は受験生で今が大切な時期だから、彼の部屋だけは綺麗に片づけてやりたい。でも、ぼくも仕事がいっぱいあって、手が回らないので、まずは、子供部屋です」
「問題ないです」
「あと、風呂が二つ、トイレもそれぞれあって、これもね、行き届かないんですよ」
「問題ないです」
「心強いな。あとは、サロン、食堂、仕事場、寝室、玄関など、全部の部屋に掃除機をかけてもらえたらいいですよ」
「アイロンがけは?」
「うちは必要ないです。あれ、嫌がる人多いでしょ?」
エリックは微笑んだ。余計なことは言わない。いい感じである。

滞仏日記「ついに、お手伝いさんが見つかった? 主夫業から解放される日が迫る・・・」



「シーツを替えたりはしますか?」
「必要ないです。息子のベッドだけはやってもらいたいけど、二週間にいっぺんとか」
「問題ありません。他には?」
「たまに、窓も磨いてほしい」
「問題ないです」
「じゃあ、以上ですよ」
「ああ、ムッシュ。ノープロブレムです」
ぼくらは握手をした。この土曜日から来てもらうことになったのだ。
ぼくは、やった、と心の中でガッツポーズ。
これで、苦しい家事から解放され、仕事に集中出来る。
また、小説を書くことが出来そうだ!!!



男性のお手伝いさんははじめてだったし、フィリピンの人に頼むのもはじめてだったけど、向き合った瞬間、あ、この人、と思った。
その直感は間違いない、と思う。
様子をみて、少しずつ、仲良くやろう。長いお付き合いが出来るといいな、と思った。
夕方、新世代賞の第一回受賞者の中村君にインタビューをし、その後、dancyu編集長の植野さんにインタビューをされた。
それから、ぼくは息子の夕飯をこしらえた。
今夜は、詩人の会があり、メキシコの詩人たちとディスカッションがあるのだ。
今度、ぼくは詩人たちとセッションをやる予定なのである。
とまれ、お手伝いさんが見つかったことで、ぼくはやっと、出歩けるかな、と思うと、ちょっと嬉しくなった。
コロナもこのまま、減衰してくれれば、もう少し希望が持てるようになる日も近い。
きっと、息子が大学生になる頃、ぼくは人並の自由を手に入れているかもしれない。
さようなら、主夫生活・・・。
え? そうは問屋が卸さないって??? あはは・・・

つづく。

滞仏日記「ついに、お手伝いさんが見つかった? 主夫業から解放される日が迫る・・・」



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