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滞仏日記「人生というのは面倒くさいことの連続なのである」 Posted on 2020/02/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、冷凍庫に豚のひき肉があった。眺めていたら不意に豚まんを食べたくなった。結構、作るのが面倒くさいのだけど、ぼくはたまにあえて面倒くさいことと向き合いたくなる。肉まんは手作りだとふわふわでものすごく美味いのが出来る。でも、それは手作りだからこそ味わえる醍醐味でもある。その面倒くささを引き受ける時に人間は超越していくのだ。ぼくの料理の哲学は妥協しないということに尽きる、なので、まず、肉まんの皮づくりからはじめた。

ボウルに薄力粉とドライイーストとベーキングパウダーを入れる。お湯に牛乳を混ぜ、ぬるい牛乳水を作って、ボウルに注いでいく。よく手を洗ってから捏ねる。まとまってきたらサラダ油をちょっとずつ加え、さらにむんずむんず捏ねていくのだ。こういう面倒くさいことをしている時には余計なことを考えちゃいけない。寝起きの息子がやって来て「今日は何?」と言った。髪型がKポップのスターみたいだ。「ふかふかの肉まんだよ」「いいね」「でも、ちょっと時間がかかるからそこにあるカップ麺でも食ってろ」息子が笑った。「じゃあ、最初からカップ麺でいいんじゃないの?」一理あるなと思ったけれど、ぼくは肉まんが作りたい。ここでやめるわけにはいかない。

滞仏日記「人生というのは面倒くさいことの連続なのである」



「で、何してんの?」「肉まんの皮を作ってるんだよ。生地が滑らかになるまで最低20分くらいは捏ねないとならない。どんな料理でも基礎をすっ飛ばすと不味くなる。大事なことは努力と辛抱だ。いいか、人生を舐めるな。いついかなる時も努力をしろよ。手抜きはカップ麺の専売特許だけど、カップ麺はカップ麺だ。人生は手を抜いたら、手抜きの人生が出来上がる。こうやって、人生の基礎を丁寧に築いておくと長持ちする」「パパ、何言ってんの?」息子が笑い出した。Kポップの歌手みたいな流行りの髪型が気になる。

ボールに丸めた生地を一つ30gずつ小分けし、丁寧に並べていく。「どうだ、綺麗だろ」と自慢をする。息子は丸椅子に腰かけ、黙ってぼくの作業を見ている。もう、笑ってない。濡れ布巾がなければクッキングペーパーを湿らせたものでも良いのだけど、丸めた生地にかぶせ、ラップをして暖かいところに置いておく。「見て見ろ。買えば中華街で1ユーロで買える。でも、こうやって、パパが手作りをすることでお前に伝えたいことがある」「それは何?」「人生というものとの向き合い方だ」息子が鼻で笑った。後頭部、刈り上げてるのか? 流行りを追い過ぎている。気に入らない。

生地が発酵して、2倍くらいの大きさになるまでの間、待たないとならない。その間に「あん」を作る。「これがさらに面倒くさいのだけど、じゃあ、登山家はなぜ山に登ると思う?」息子は呆れたのか、返事をしない。

中華食材店で買った瓶詰のたけのこを小さく角切りにし、予め戻しておいた干し椎茸と長ネギも同じような大きさに細かくカットする。生姜をすりおろしたら、豚ひき肉と一緒に全てボールにぶちこみ、手際よく混ぜていく。「パパはそういう面倒くさいことが好きだって自慢話し? でも、人生って楽していいんじゃないの? 肉まんとか、日本だとコンビニで買えるじゃん。誰もそんな面倒くさいことしないでしょ?」「お前はわかってない。登山家にしか分からない人生の醍醐味を、麓でぼけーっと見上げてるだけの人間には伝えられないんだよ。お前が頂上に苦労して立った時にはじめてわかる喜び、興奮、感動がある」息子が笑った。「ぼくは麓で見上げていたい。ほっといてくれよ」

滞仏日記「人生というのは面倒くさいことの連続なのである」



ちょっと疲れたので、冷蔵庫からビールを取り出し、もう一つの丸椅子に腰かけ息子と向き合って飲んだ。タッパーの中で生地が膨らみ始めている。「見ろ。これが醍醐味だ」「へー」と息子が感心するように言った。普通なら、すぐにいなくなる息子がなかなかキッチンから出て行かないので、どうした、と訊いてみた。「実は、ちょっと悩んでいることがある」「そうだと思った。で、それは何? 新しい恋人でも出来たのか? 二股がばれて、エルザに怒られたとか?」「エルザとは、だから親友になった。別に恋人はいないし、今は必要ない。そういうことじゃないんだよ、パパ」そうか、エルザとはやはりそうだったのか。でも、そのことは突っ込まないことにした。「この休み中に決めなければならない大事なことがある。でも、決められないから悩んでいる。パパは相談にのってくれるの?」

膨らんだ生地を手に取り、真ん中を少し分厚く残して、周りの皮を薄く伸ばしていく。そこにあんを置き、包んでいくのだ。登山で言うならば七合目というところか。「ほら、山頂が見えてきた。ここまで来ると、途端に料理が楽しくなる。人生もそうだ」左手の手のひらに皮を置き、親指であんを押さえながらひだを作っていく。10〜12のひだを作ったら最後はひだ全体をぎゅっとひねって、あんを包み込むようにして、生地を閉じる。この瞬間が最高なのだ。「ひゅー」と口笛を鳴らした。小さく切ったクッキングシートを敷き、蒸し器に入れる。沸騰したお湯の上に蒸し器をのせ、火をつける。「山頂がそこにある。15分蒸したら、中華街の数倍は美味い肉まんが出来あがる。お前、どう思う。パパをバカに出来るか? コツコツと努力する人間をくだらないと思うのか?」Kポップのスターみたいな横顔で、息子が蒸し器をじっと見つめていた。ぼくは大変満足な顔で、息子の横にいた。
「で、君はいったい何について悩んでるんだ? 」

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