JINSEI STORIES

滞仏日記「ニコラとマノンの両親とテキーラショット」 Posted on 2020/02/16 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくが日本滞在中、息子の咳が止まらなくなった。救急医師(SOSメドゥサン)を手配してくださり、回復まで面倒をみてくれたのは、ニコラとマノンのパパとママであった。コロナウイルスが拡大しはじめた時期だった。自分が逆の立場だったら、出来ただろうか。この二人はいつも子供たちをぼくに預けるし、二人の夫婦関係は何度も破綻しかけていた。なのに二人は力を合わせて、咳き込むうちの子の面倒を見てくれたのだ。誤解のないように言っておこう、多くのフランス人はどちらといえば、正義感の強い、こっちのタイプだと思う。今日、お土産を渡すついでに二人を行きつけのバーに呼び出し、一緒に呑むことになった。

「空咳をするアジア人の子供の面倒をみるのって、正直、怖くなったですか?」
「まあ。でも、子供をほったらかしに出来ません。いつもニコラに勉強を教えてくる優しいお兄ちゃんだし」
「息子さんはずっとフランスにいたわけだから、新型肺炎のわけがない、ぼくはちっとも怖くなかったですよ」
とニコラのパパが付け足した。
「でも、辻さんは日本から戻って来たばかりだから、あと二週間はわかりませんね」
そう言うとニコラのママが苦笑した。



ぼくらは夫婦関係について少し話しをした。プライベートなことに口出しするのはよくないが、でも、息子がお世話になったからこそ、ほっとけなかった。お節介にならない程度で、二人の間に入っていることになる。お酒の勢いも手伝って…。それはニコラのためでもあり、マノンのためでもあった。こんなタイミングじゃなければ話しができない。なかなかこういう機会もないのだから…。
「ええ、あれからいろいろと話し合っています。でも、結論はまだ出ていません」
ニコラのママが言った。パパは黙っている。二人は40代前半という年齢であり、パパの方は小さな会社を経営している。その会社があまりうまくいってないことが夫婦間にひずみを持ち込んだのだ。
「実は、昨日、娘にブロックされてしまったんですよ」
「ブロック? 何を?」
「全部ですよ」
どうやら、マノンはワッツアップの電話帳からパパを削除したのである。ツイッターもインスタも全部ブロックしてしまった。
「ぼくがあまりいろいろと煩いからだと思います。ぼくが妻とよくケンカをするからだと思う。あの子はママの味方ですから」
「そうじゃないわよ。あの子はどっちかの味方というわけじゃなく、夫婦の問題に介入したくなかっただけ。耳を塞いだのよ。私にも口を利いてくれない」
二人が同時にため息をもらした。ぼくが差し出がましい意見を言えるような状況ではなさそうだった。
「じゃあ、次回、マノンがうちに来た時、ぼくに出来ることはありますか? ぼくには懐いているので、お二人の、いや、あなた方家族のために何か出来ることをしたい」
二人はお互いの顔を見合わせ、暫く考え込んだ。そして、パパの方がこう言った。
「大丈夫です。家族の問題は家族で解決させてみせます」
ぼくは頷いた。それがいい。
「お気持ち、ありがとう。じゃあ、一つお願いしたいことがあるんですけど」
とママが言った。
「どうぞ」
「テキーラショットでメキシカンスタイルの乾杯をやってもらえます?」
フランスの若者たちがよくやるやつである。ショットグラスにテキーラをなみなみと注ぎ、手の甲に載せた塩を舐め、ラムを齧って、その後一気飲みをする、あれだ。
「もちろんです。景気付けにやりましょう」
バーマンのロマンにテキーラショットの準備をお願いした。
「じゃあ、ぼくからプレゼントさせてください。ムッシュはうちの常連だし、お二人に辻さんの息子さんが助けられたわけだから、間接的に、ぼくも救われたことになる」
ロマンがだしてくれたのは、きれいな青色が特徴のメキシカンテキーラに、天然シトラスフレーバーをブレンドした、タランチュラ・アズールだった。爽やかな口当たりで程よい甘味、飲みやすいので、女性にも人気のテキーラである。
「いいね」
とぼくはグラスを受け取った。ぼくらは塩を舐め、ライムを齧り、ショットグラスをぶつけ合った勢いで、テキーラを一気に飲み干すのだった。染みたぁ~!

滞仏日記「ニコラとマノンの両親とテキーラショット」



自分流×帝京大学