JINSEI STORIES

滞仏日記「桜咲く、パリの路地で、春一番」 Posted on 2020/02/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、2月の中旬だというのに、桜が咲いていた。ぼくは買い物に行く途中、教会の裏の桜が花を咲かせているのを見つけた。ぼくが桜の写真を撮影していると「あなたの国の花ですか?」とベンチに座っているマダムが言った。横にたぶん娘さんであろう若い女性が付き添っている。ええ、日本の桜(スリジエ)です、と言った。
「やっぱり。日本人だと思った」
「どこでわかりましたか?」
最近、新型肺炎が拡大してから、ぼくの周りの日本人が中国の人に間違われるケースが増えた。中には、酷いことを言われた人もいる。ぼくはなぜか中国人に間違われたことが一度もない。なんでだろう、と思ったので、マダムに訊いてみた。
「歩き方よ」
面白いことをマダムが言った。歩き方ですか?
「細かいことまでわからないけど、重心のかけ方かしら。急いでないし」
「それは偏見ですよ。人によって違います」
「あなたは顔が日本っぽいからよ。よくママとあの人は何人だろうってすれ違うアジア人を研究しているのだけど、とっても日本人っぽい歩き方、仕草、そして、雰囲気があった」
娘さんが割り込んできた。思わず噴き出してしまった。ぼくは歩いている時、重心のかけ方が低いのかもしれない。

実はぼくもアジア人とすれ違う時に、何人だろう、と推測をすることがある。ひと昔前だと髪型とかメイクとかファッションとかで中国、韓国、日本人を見分けることが出来た。たとえば香港人の男性は後頭部側頭部を同じように借り上げているし、韓国人の男性は肩幅ががっしりしているとか、中国人の男性はどっしりと鼻が凛々しいとか…。でも、同じようなドラマが世界的にヒットして、同じようなファッションや髪型やメイクを選ぶようになり、区別がつけられなくなってきた。とくに女性は見分けが付き難い。
「あなたは桜を見上げて撮影しだした。まっすぐ桜に向かうのは日本人に決まっています。私、昔、日本に住んでいたことがあるからわかるの。日本人は桜に対して特別な気持ちを持っている」
「ああ、それは間違いないですね。ぼくは桜の木の下に先祖の魂が眠っていると思っています。桜の木に人格を重ねている。だから、桜を見ると安心できるし、特別な気持ちになる。震災の後も、桜が咲いているのを見て、涙が出ました。これは日本人だからだと思います」
「私は東京の大学に通っていたの。春になると桜が大学構内で満開になり、学生たちが花見をしていた。もう40年も前のことです」
このマダムはぼくと同世代のようだ。思わず、どちらの大学ですか、と訊いてしまった。成城大学だったら、あの人かもしれない。でも、違う大学だった。ぼくが大学生だった頃、フランス人の留学生がいた。なんとなく似ているな、と思ったのだ。

滞仏日記「桜咲く、パリの路地で、春一番」



「まだ二月なのに」
ぼくは桜を仰ぎ見て、そう呟いた。するとマダムが立ち上がった。娘さんがお母さんの腕を掴んだので、足がちょっと不自由なことがわかった。
「そうなのよ。いつもなら三月末に咲くのにね。こんなに暖かいからちょっと間違えちゃったのかもしれないわね」
「温暖化のせいですね」
「ええ、そうでしょうね」
フランスも暖冬なのである。寒い日がほとんどなかった。いつもならこの時期、身を切るような寒波に見舞われるのだけど、今日はまるで四月の陽気。そうだ、まるで春一番のような風がパリ市内を、ゴーっと唸るような音を響かせ、窓ガラスを震わせながら、駆け巡っている。
「お会いできてよかった。また、日本に行きたいけど」
マダムはそう言った。娘さんと目が合った。
「私、日本に留学したいんですよ」
「いいね。日本で見る桜はまた格別ですよ」
ぼくは日本風のお辞儀をして、ぼんじょるね(良い一日を)と言い残した。温かい風がぼくたちの間を吹き抜けていった。強い風でハンチングが飛ばされそうになった。マダムと娘さんの髪も乱れた。でも、二人は微笑んでいた。



自分流×帝京大学