JINSEI STORIES

滞仏日記「ついにイタリアに行った子が学校から追い返された」 Posted on 2020/02/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、夕方の早い時間、ニコラ(9)が久しぶりに遊びに来た。息子はまだ学校から帰っていない。珍しく、ニコラのママも一緒だった。ぼくが日本出張の時には咳込む息子のために救急の医師を手配してくれたり、その後、面倒までみてくれた。メールと電話で何度かお礼をしていたのだけど、実際に会ったのは帰仏後はじめてとなった。(ニコラとマノンはお土産だけもらいに、先週一瞬顔を出した。ぼくはポッキーをニコラにあげたのだ)でも、ご両親には会ってなかった。まだちゃんとお礼が出来ていなかった。ニコラのママとパパにもお土産を渡さなきゃと思っていたので、ちょうどよかった。二人に家にあがってもらった。ニコラにとってここは勝手知ったる家、窓際に置かれた大きなソファまで走って飛び乗り、スイッチをやりはじめた。元気だったか、と問うと、「ぼくはね、でも、エバちゃんが休んでる、先生が追い返した」と変なことを言った。エバ?

ぼくはコーヒーを淹れ、ニコラのママと食堂で向かい合った。まずは、お礼、それから日本で買ったお土産を渡した。今回はかなりお世話になったので、家族四人で使える漆のお椀とパパとママには漆のお箸もプレゼントした。「体調とか大丈夫ですか? 日本は大変なことになってますね」とニコラのママが言った。「僕はこの通り大丈夫」「よかった。安心しました。でも、二週間は様子みないと。そろそろ二週間かなと思って…」「あ、だから来なかったのか」ぼくは思わず笑ってしまった。素早く計算をするとパリに戻って来てからちょうど二週間が経っていた。頻繁に来ていたニコラがあんまり来ないな、と思っていたら、経過観察されていたということなのか!
「そうじゃないですけど、でも、心配してました」
まあ、そうだよね、と思った。逆の立場だったから、そうしていたかもしれない。息子の面倒を見てくれた方々なのだから、感謝しかない。
「息子もすっかり咳がとまりました。抗生薬が効いたみたいで、その節は本当にありがとう」
ニコラのママが安心をしたようで、クスッと笑った。
「でも、今日、エバが追い返されたんですよ、学校から。エバはニコラのクラスメイトなんです」
驚くことを彼女が言い出した。

滞仏日記「ついにイタリアに行った子が学校から追い返された」



ニコラのママが今日、ニコラの学校で起きたことを説明してくれた。
子供たちがエバに、『エバ、イタリアに行ってなかった?コロナウイルスに感染してんじゃなーい?』と冗談ぎみに聞いたのだという。その中にニコラもいた。するとエバは『ローマに行ってたんだよ。ミラノじゃない』と反論をした。しかし、そのやりとりが生活指導の先生の耳に入り、『君はイタリアに行っていたんだね?ならば、今日は帰りなさい』という事になってしまったというのだ。お母さんが呼び出され、結局、エバは2週間自宅待機する事になった。
「でも、おかしいね、うちの子のところに来たパリ市教育委員会からの通達だと、ロンバルディア州とベネト州に旅行した子と書かれてあったけど」
「ええ、そうなの。でも、理由はわからないけど、ローマに旅行しただけのエバは二週間自宅待機になった。ミラノの子と接触したのかもしれないけど、ちょっとわからない」
ぼくは即答できなかった。日本全国で発症者が出ていて市中感染のような状態が起きている。日本からの渡航がいつ制限されてもおかしくないということである。

エバちゃんだけに限らず、多くの子供が今回のバカンスでイタリアに行っていたのじゃないかしら、とニコラのママは言った。エバのように、イタリアのロンバルディアやベネト州以外の地域に行った子もたくさんいるわけで、線引きが難しい。アジアに行った子たちは確実に自宅待機になっていることだろう。バカンスに行ったことを語らない子や語れない子(保育園や幼稚園児など年齢的に)もいるわけで、先生たちは、現地点でパスポートを提示させるわけにもいかず、頭を抱えているに違いない。そういえば、今日の夜、我が家に京都から知り合いの親子が遊びに来ることを思い出した。

そんなリスクを恐れ、パリ近郊のある私立学校では2週間のバカンス明け、学校全体がもう2週間の休校を決めた。これは驚くべき措置である。日本では北海道の学校の休校ニュースが出たばかりなのに、フランスの私立学校が二週間休校措置を講じたというのだから。イタリアはフランスの隣国で、たくさんのイタリア人がフランスに住んでいる。今日、ロンバルディアと中国から帰ってきた男性のコロナウイルス感染が確認された。感染者ゼロだったが、二人(一人は中国人)になった。フランスは今まで以上に検疫を徹底させる方向にある。もしイタリアからの感染者が拡大しはじめたら、パリはすぐに学校などの閉鎖を決めるだろう。日本は政治が機能していないのか、あまりにのんびりとしている。むしろ今の日本の方が異常なのかもしれない。

一時間ほどすると、ニコラのママが、さあ、帰りましょう、と言い出した。いつもであればニコラを一人ここに残して彼女は帰る。でも、やっぱりこういう時節柄、いろいろと警戒をしているのかもしれない。仕方がない、と思った。二人を送り出して、ぼくはドアを静かにしめた。

自分流×帝京大学