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滞仏日記「本当に残念だけどオリンピック開催が今夏不可能な理由?」 Posted on 2020/03/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、夜の20時、通りのあちこちから拍手がおこった。窓をあけると通りに電気が灯り、みんなが手を叩いている。これはフランス全土で行われている、医療従事者への感謝の拍手だ。これから毎晩続くらしい。ぼくは息子と窓を全開にし、必死で叩いた。メルシー、と声をはりあげながら。

病院はどこも戦場のようだ。医師たちは疲弊しきっている。ぼくは息子を守らないとならないから、絶対にコロナに感染するわけにはいかない。風邪さえひけない。なので、多分、フランス人の百倍は気を付けている。掃除用の消毒液(ジャベル)が有効と分かって薄めた液で玄関のドアノブから床から廊下から靴の裏まで消毒済み。近所に買い物に出る時も手術用手袋をはめ、鼻うがい薬で鼻腔も洗浄、前もって手の消毒もきっちりやって、人には絶対に近づかない。実はもうすでにコロナがイタリアで猛威を振るいだした頃からぼくは最大限の注意を払って息子と生きてきた。近所の人たちに「さすが日本人だな」と笑われても、「お前ら、ペストの時代を忘れたのか」とぼくは言い続けた。こんなに頑張っているぼくが、もしもコロナにかかるなら、フランスは終わりだろう。そのくらいの自負を持って挑んでいたら、昨日、テレビの中にぼくよりも凄い人が映っていた。おお、この人はきっと完璧かもしれない!

滞仏日記「本当に残念だけどオリンピック開催が今夏不可能な理由?」



息子が、
「パパ、フランス人がみんなこのおじいさんみたいであれば、こんなに感染者が増えることはなかったね」
と言った。
ラジオでもテレビでも専門医たちが言い続けているのは、日本人のように、全員が一丸となって、衛生的倫理観を持つことだ、ということだけど、日本も満員電車なんかがまだ走っているようなので、その映像を見る限り、まだ心配はぬぐえない。
イタリアは、中国のオフィシャルの死亡者数を超え、死者3405人になった。民間の葬儀屋では火葬が間に合わずついに軍が火葬をやるようになった。イタリアがいつピークを迎えられるのか、なんとも言えない状態だが、予想よりもさらにピーク怪獣が巨大になって後ろへとずれこんでいるのが現実。その後を追うようにスペインが物凄い勢いで感染拡大している。フランスとドイツは必死で抑え込みをしている最中だが、今月内(もしくは四月頭まで)が見極める一つの山場になるだろう。で、昨日の日記にも書いた通り、ぼくがイタリアに負けないくらいかそれ以上に懸念しているのが、アメリカ合衆国である。

アメリカは2週間前に僅か100人だった感染者が1万人を超えた。わずか、2週間で、だ。これは、イタリアに並ぶ異常事態である。フランスの感染学のトップが昨日の国営テレビの生放送で衝撃的なことを語った。
「ぼくらは新型コロナを見縊っていた。これは我々の敗北で、このウイルスの感染力は僕らが考える速度の何倍も強力で早い、恐ろしいほどに」



トランプ大統領は面白い政治家で、だからこそ、世界が振り回されてきたのだけど、そういう政治手法はある意味天才かもしれないと思う反面、バランスよく世界を見極め、優秀なスタッフの意見に耳を傾けることが出来ない。これはつまり感染症のようなカタストロフには向かない政治家と言える。報道官を通さず、ツイッターで自分の意思を告げるのは、コロナ危機には全く非常識だと言わざるを得ない。

米国でコロナの検査を受け、30万円以上請求された人もいるという。現行のアメリカの医療制度だと、検査や治療、入院にかかる費用を払えない人たちばかりになる。新型コロナ急拡大の回避は非常に難しい、というのか、検査が出来ないので(検査の器具も少なすぎる)、現在の1万という感染者数は本当に氷山の一角に過ぎないだろう。この2週間でウイルスが爆発的拡大をはじめたアメリカには3億もの人間が犇めいていて、しかも保険が適応されない人が多く、適応されても払える自信のない人がほとんどという調査結果。誰もこのような状態じゃ、検査なんか受けない。重症化して、はじめて、陽性となった人が、現在の感染者のほとんどじゃないか、と想像する。感染自体が表に出にくい環境が出来上がりつつあり、水面下でどんどん拡散という負のスパイラルが起こりはじめているとしたら…。

武漢があのような状況だったのに拡大を押さえつつあるのは、中国が共産党一党の社会主義国だからであり、民主主義の名のもとに自分ファーストがここまで定着したアメリカには不可能な芸当かもしれない。アメリカの底力を知っている日本人からすると、そんなことはない、アメリカはめっちゃ強いんだ、と思いたくなるのもわかるけれど、イラン、北朝鮮の核問題でも結果が出せないアメリカに過去の幻想を見続けるのは危険だ。この新型ウイルスはアメリカを世界一の座から引きずりおろす可能性がある。

本当に残念だけど、トランプ政権には感染症の脅威をいち早く察知できる繊細な危機管理能力、危機意識が弱い。(今日になって異例の米国民の渡航中止、帰国勧告をだしたが、すでに国内にウイルスは拡大している)トランプさんの側近に感染症に強い政治家が不在なのも問題である。(フランスの場合、保健相も健康相も元医師であり、フランスはパスツール研究所などの専門家が政権に多くの意見を述べている)。アメリカにもCDCやホプキンス大学のような優秀なご意見番がいるのだが…。

ともなく、2週間で1万人の感染者を出したアメリカ。この春から初夏にかけて、アメリカの感染者数はイタリアや中国に追い付く可能性がある。けれども、本当に残念なことに、トランプ政権に感染拡大をとめる手腕を期待するのは難しい。仮にCDCが頑張ったとして、コロナ拡大のニュースが流れると同時に銃砲店に行列を作るアメリカの国民性にも疑問が灯る。

あっという間にパンデミックの中心地が北米大陸になってもおかしくはないのが現状で、身構えていたフランスの専門医でさえも見縊っていたと恐れる新型コロナという化け物の威力を前に、戦略を持たない、欧州のような保険制度を持たないアメリカに、勝ち目があるとは、ここフランスで外出制限の現実を見ているぼくからすると、どうしても思えないのだ。で、タイトルに書いた本題にやっと戻るのだけど、欧州各国における感染の速度を見ている限り、アメリカにおけるピークは春の終わりくらいから夏以降にかけてじゃないか、と思う。

滞仏日記「本当に残念だけどオリンピック開催が今夏不可能な理由?」

自分流×帝京大学