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滞仏日記「ぼくが生まれて初めて作った料理を息子に伝授した」 Posted on 2020/03/23 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、外出証明書に自分で書き込めば、外出することは出来る。出るなと言われると出たくなるのが人情で、証明書も持たずに外出して罰金を払わされたフランス人は外出制限が始まって6日目で、すでに9万人を超えた。罰金は連日値上がりしていて、今日だと、最低で135ユーロ(1万5千円程度)、最大1500ユーロ(18万円程度)の罰金、×9万人って、凄い金額じゃないか。(月に四回守れないと3700ユーロ(50万)と六か月間の投獄になる)ぼくはちゃんと散歩欄にしるしをつけ、合法的に太陽を求めて近所を歩いている。(たったそれだけのことも出来ないで罰金を払っている人が9万人もいるって、どういうことだ!)

滞仏日記「ぼくが生まれて初めて作った料理を息子に伝授した」

滞仏日記「ぼくが生まれて初めて作った料理を息子に伝授した」



外出制限が発令されているというのに、どうですか、この長閑な光景、大勢の人々…、言うこと守らない人だらけ、ぼくもだけど、こんな麗らかな春の1日、家にいろと言われてもなかなかできることではない。マクロン大統領は業を煮やし、明日、月曜日に、どうやらかなり厳しい制限を発令するという噂が飛び交っていて、もちろん、その前に歩いておこうという人たちが外を目指した結果なのかもしれない。

滞仏日記「ぼくが生まれて初めて作った料理を息子に伝授した」

滞仏日記「ぼくが生まれて初めて作った料理を息子に伝授した」

家に戻ると、息子がサロンで運動をしていた。彼はまだ子供なので、ウイルスという慣れない言葉に怯えていて、先週の金曜日から一歩も外に出ていない。16歳の子供のメンタルを考えると心配になるけれど、「走るくらいならいいんだぞ」と言っても、やめとくという懸命な返事だけが戻ってくる。今、外に出ている連中のせいで終息しないんだ、もう少し頭と心を使って行動をしてもらいたい、だって。その通りである。
床に置いてある彼の携帯を覗くと、どうやらスポーツユーチューバーの動画だ。

滞仏日記「ぼくが生まれて初めて作った料理を息子に伝授した」

ぼくもジャージに着替えて一緒にやることにした。外出制限が出てから、この手の動画が増えた。みんな自宅で運動したり、学んだり、鑑賞したり、楽しんでいるようだ。フランス全土で、いや、欧州全域でこのような内向的生活へ人々のマインドはシフトしてしまった。このコロナショックがひと段落した後、世界大戦を経験した後のように人間の意識が変化していることだろう。携帯画面の先生が叫んだ。
「みんな、ぼくはいつでもここにいるよ。だから、安心して筋トレに打ち込んでほしい」

滞仏日記「ぼくが生まれて初めて作った料理を息子に伝授した」

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汗をかいた後、息子とランチの準備を始めた。
「今日は、パパがお前と同じ16歳の時に、生まれて初めて作った料理を教えたい」
「それは何?」
「パパは函館の高校に通っていた。16歳だった。十字街の電停近くにギンザというレストランがあったんだ。学校帰り、その前を通ったら、シェフの恰好をした男の人が段ボール箱をドラムに見立てて練習していた。それは8ビートだった。ずんずんちゃんちゃんずんずんちゃ。わかるか? 8ビートだ。面白いなー、と思った。その人、山さんという名前だった。パパも音楽大好きだったからね、すぐに仲良くなって、学校帰りに顔を出すようになる。ビートルズとか、ローリングストーンズとか、いろいろと教えてくれた」
「へー、パパはすぐに誰ともでも仲良くなるよね。そのくせ、友だちがいないとかって言うけど、結構、いるじゃん」
大笑いした。たしかに、そういうところはあるね。
「で、ある日、山さんがごちそうしてくれたのが今日作る、アメリカンクラブハウスサンドだ」
「知っている。そんな時代からあったの? 何年前のこと?」
ぼくらは再び大笑いになった。45年も前に、クラブハウスサンドは函館にあった。
「函館、すげー」
「とにかく、美味かった。山さんのアメリカンクラブハウスサンドは世界一だ。いまだにあの人のを抜いたものを食べたことがない。さあ、作るぞ」
ぼくらは鶏肉を皮目から焦げるくらい焼いて、卵を硬めに茹で、アボガドを剥いて、葉っぱを洗い、マヨネーズやケチャップやマスタードでソースを拵え、トーストをしっかりと焼いて、それらを重ねて、簡単なのだけど、見た目にも豪華なアメリカンクラブハウスサンドを作った。3枚重ねのトーストの間にびっしりと具が詰まっている。はじめて、ギンザのカウンターに出てきたのも、まさにこんな感じだった。あの感動は忘れられない。食べてもっと感動をした。こんなに美味いものが世界にはあるんだ、と思った。
「ツジ君、人生はロックンロールだよ。ずっと8ビートで行けよ。8ビートが青春の基本だからね。ずんずんちゃんちゃんずんずんちゃ」
ぼくは山さんに言われたことをそのまま、息子に教えることになる。実に8ビートは奥が深い。苦しい時こそ、ロックンロールだ。

滞仏日記「ぼくが生まれて初めて作った料理を息子に伝授した」

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