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退屈日記「ロックダウン生活下でも、キッチンは裏切らない」 Posted on 2020/04/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、新型コロナの現状について、かすかな希望もあるけれど、叩き潰されるような現実もあって、編集部で調査した現実の欧州やこれからの世界の観測予報に眩暈を覚えて、昨夜は日記をアップした後、やけ酒になった。日本もついにロックダウンが始まりそうな気配だから、このサイトでも生活者目線でロックダウンを乗り切る術をお伝えしていきたいけど、正直、試行錯誤の連続なのだ。簡単に言うと、4~6週間でロックダウンが解除になっても、「はい、コロナ君、いなくなったよ」みたいな世界にはならない。そりゃ、そうでしょ。どこかにウイルスは残り、二次感染の可能性も払拭できない。抗体を持てなかった人はずっとかかる可能性がある。そうなると、外出制限が切れても、ぼくのような超神経質な生き残ることばかり必死で考えているような人間はその後も自主隔離的な生活を続けることになる。昨日のテレビではそれが最低でも6か月は尾を引いて、世界を停滞させるだろうと専門家が言い出し、飲みかけていたウイスキーを噴き出してしまった。英国では第一次封鎖が6か月に及ぶ可能性が言及されはじめているし、その後も感染爆発の波が2年くらいは続くのじゃないか、と予想されていたりして、専門家も意見が割れている…。

退屈日記「ロックダウン生活下でも、キッチンは裏切らない」



しかし、世界が予測のつかない不安の中にあろうと、日常生活を止めることは出来ない。子供もいるし、何よりも自分だって生きていかないとならないのだから。それで、引きこもって家から出ようとしない息子の手を引っ張って、毎日、外を走り、午後は毎日、キッチンで受講生息子君だけの料理教室を開催している。夕食後は一緒にヨガをやり、悩み相談室を開設した。昨日は料理を作りながら、少し息子と話しをした。この制限下の世界との向き合い方などについて…。
「いいかい、このアパルトマンを火星へ向かって飛んでいる宇宙船だと思ってくれ」
「うん」
「パパと君はミッションを持った宇宙飛行士だ。火星は月よりも遠くにあるので、かなり時間がかかる」
「約250日、8か月かかるよ、片道」
「ありがとう。じゃあ、そういう旅に出ていると思え。これをやらないと人類は生き残れない。食料を買いに行くのは船外活動だ。二人でジョギングするのは宇宙遊泳だと思え。ミッションを持ってるんだ、やるっきゃないし、そう思うと楽しくなるだろ」
「・・・・」
「じゃあ、今日のランチは鶏肉のフリットと蕎麦にする」

退屈日記「ロックダウン生活下でも、キッチンは裏切らない」



退屈日記「ロックダウン生活下でも、キッチンは裏切らない」

ということで、ユーモアを交えながら、ぼくは現在の状況を息子に説明した。本当はもうこの生活にうんざりしているけど、人間力で乗り切っていくしかない。相変わらず人間は試されている。それが生きるこということかもしれない。
「今日は簡単なイタリア風チキンフリットの作り方を教える。パン切包丁で鶏むね肉を削ぎ切りにして、片栗粉をまぶし、卵白で作ったメレンゲを潜らせ、油で揚げる。これだけだ、簡単だろ、やってみろ」
キッチンに材料が並んでいる。メレンゲだけは素人には作れないので、卵白をボウルにいれて、ハンドミキサーでぼくが作ってやった。やり方を見せ、後半は息子にやらせる。これが親子の絆を深める術だ。そして、ヒントは教えるけど、詳しい作り方は一切教えない。料理と言うのは、人間が歩くことを覚えるのと一緒で、本当はレシピよりも作るという動機の方が大事なのである。起き上がる赤ちゃんのようなものだ。歩きたいという自然な衝動が先生になる。ネットで調べた鶏のフリットの写真を息子に見せるだけ。想像力の世界に放り出すと子供は喜ぶ。息子は恐る恐るパン切包丁を掴んだ。そして、胸肉を切り出そうとした。筋に対して削ぎ切りするのがいいので、鶏肉の方向だけ修正してやった。
「ヒント、ナゲットの大きさ」
「うん」
「なんで、パン切包丁かというと、すっと切れないので繊維をざくざく裂いていくからね、触感が出てうまくなる。これは父ちゃんのアイデア」
「へー」
「料理はレシピ通りにやっちゃつまらない。自分で開発することが出来る娯楽だと思え
ボウルにいれた鶏肉に塩胡椒をさせた。鶏肉を手で揉んで塩味を馴染ませる。
「いいじゃん。いいよ。美味くなるぞ」
パッドの片栗粉を鶏肉にまぶし、泡立てたメレンゲ(ちょっとやわらかめがベスト)を潜らせた。息子が熱しておいた油の中に鶏肉を次々ぶちこんでいく。この辺は何も口出ししない、間違わない限り、自由にやらせる。ぷっくりと膨らんでくると、息子の顔に笑みが宿った。
「美味しそう」
「だろ。油の音が落ち着いたら、もう揚がっている。菜箸で取り出し、あとは余熱に任せておけ」
ぼくが蕎麦を茹で、皿に盛り、二人で窓辺の食堂に運んで、並んで座った。
「火星まではものすごい長い道のりだ。気楽にいけ。このミッションが終われば、新しい世界が待っている。それまでに料理もたくさん覚えられる。さあ、食べよう。ボナペティ」
「パパ、火星で鶏肉とか脂とか買えるかな」
「くだらない質問をするな。食え」
なんとも最高にうまい、鶏肉のフリットであった。二人で蕎麦をずるずるとすすっての楽しい宇宙船生活であった。こうやって、皆さんにも、毎日毎日を乗り切ってもらいたい。キッチンは裏切らない。

退屈日記「ロックダウン生活下でも、キッチンは裏切らない」

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