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滞仏日記「哲学者アドリアンが語った、アフターコロナの力学」 Posted on 2020/05/09 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昼食後、息子に一緒に走ろうと提案したが断われたので、買い物がてら近所をぐるっと一周散歩することにした。駅前の行きつけのカフェに差し掛かると、月曜からの開店の準備に追われているカフェのテラス席に哲学者のアドリアンが座って葉巻を燻らせていた。よお、エクリヴァン(作家)、とアドリアンは言った。ぼくは彼の前で立ち止まり、よお、フィロゾフ(哲学者)と言った。
「何してんだ? 開店準備の邪魔だろ?」
「ちょっと休ませてもらっている」
アドリアンは大勢の人が歩いているのを見回し、
「この感じだと、月末には再びロックダウンになるな」
と言った。月曜日からロックダウンだというのに、パリはすでにロックダウンが解除されたかの人出である。家族連れ、老夫婦、カップル、犬の散歩、若者たちの小さな集まり、などなど…。まるでお祭りのような賑わいだ。マクロン大統領がこの光景を見たら、どう思うだろうね、とぼくらは冗談を言い合った。
「ところでフィロゾフ、この世界がどうなるか、君の意見を聞きたい」
とぼくは訊いてみた。ああ、とアドリアンは肯った。
「まず、いわゆる民主主義が一つの結末を迎えるかもしれないな」
アドリアンはいきなりこのようなことを言いだした。それはどういうことだ?
「結局、俺は二か月間、このロックダウンを目撃し続けて一つの結論に至ったのだ。それはロックダウンのような強制力で国全体を隔離するってことは、民主主義の国家には向いてなかったっていう結論だ。中国のような社会主義の国じゃないと、そもそも国民が従わない。武漢で行われたロックダウンとフランスのロックダウンは根本が違っている。こんな風に市民が自由に出歩いていたら、中国だったら軍隊が出てきて即逮捕だろう。でも、フランスでは出来ない。日本もだろ?」
「日本は法律的にフランスのようなロックダウンさえ出来ないんだよ。もっと緩やかな強制力の伴わない要請レベルのソフトロックダウンだから、旅行に行く人も出ている」
アドリアンが小さく頷きながら葉巻をふかした。



「新型コロナのようなウイルスを封じ込める能力は中国の方がアメリカよりも圧倒的に強いんだよ。トランプ大統領は選挙で勝つことしか考えてないから、彼の得意分野である経済がダメになることは彼にとって敗北を意味している。なので、こんな状態だけど、命よりも経済を優先させる。で、これはどうなるかと言うと最終的に今以上の物凄い感染者を出してしまい、コロナイメージの負の力でアメリカの経済活動の根幹をマヒさせてしまうことになる。デパートの相次ぐ倒産、航空会社の倒産、自動車業界の衰退、アメリカを支えてきた大きな産業が傾斜する。中国だけに製造業を任せてきた第二次世界大戦以降のつけがここに来て西洋諸国を揺さぶっている。マクロンやジョンソンやメルケルは気が付いてるけど、後の祭り感はある。製造業を自国に取り戻すにはここから何年もかかってしまう。マスクがいい例だ。コロナのワクチンを真っ先に開発するのはアメリカじゃなく中国だろう。中国は社会主義国だからそれが可能なんだ。アメリカにも国防生産法ってのがあって自動車会社に人工呼吸器なんかを作らせているけど、そういうレベルじゃおいつかない。国の集中力が違い過ぎる。それは民主主義がはびこり過ぎことによる副作用なんだよ。中国を社会主義と言ったけど、正確には、資本主義体制を大幅に取り入れた中国特殊社会主義国と言えるだろう。ここがトリックなんだ。アメリカの場合、国民一人一人の意見が壁になる。もちろん、俺は民主主義の恩恵でこんな風に自由に生きてこられたわけだけど、新型コロナのようなパンデミック脅威に、民主主義はあまりに脆かったということだ。世界のパワーバランスで考えると、今はまだアメリカが若干勝ってるように見えるかもしれないが、今後、間違いなくアメリカは中国に及ばなくなる。コロナが収束しはじめた途端、米中関係は逆転している可能性がある。ってか、元々、もうそうなることは免れない状態だった。いいか、それが早まりつつあるだけだ」
アドリアンは小さく頷いて見せた。



「で、EUを見てみよう。イタリアで感染爆発が起こった時、EU諸国はイタリアを助ける余力がなかった。俺たちはヨーロピアンとして結束しているかに見えたが、それは違った。今イタリアで渦巻いているのは、憎しみだ。イタリアの国民はEUの国旗を燃やしてる。EUに裏切られたとイタリア人は思っている。そこに医師団を派遣し、人工呼吸器を送ったのが中国で、イタリアはもともと中国に接近していたけど、アフターコロナの世界ではさらに両国の結びつきは強固になる。それはEUの弱体化、もっと言えばEUの一つの終焉の始まり、ということに繋がる。イタリアはG7のメンバーだけど、中国が中心になって作る新しいG7に参加することを選択する可能性がある。そこにはロシアなどが参加し、アフターコロナの世界の新しい秩序を作ることになるかもしれない。英国が離脱したEUを率いるドイツとフランスはこのバラバラになりつつあるEUを束ねることが出来るだろうか? 俺が思うのは英国、日本、米国が中心になってもう一極を作るかもしれないけど、弱いな。

アフリカで感染爆発が起こる時、アフリカ諸国はどの国に助けを求めると思う? すでに中国はアフリカのインフラを整備するために大勢の中国人と莫大な資本をアフリカに注入し続けてきている。アフリカを救うのは中国しかないんだよ。だから、WHOの事務局長がエチオピアの元大臣なのかもしれない。気が付いたら、中国は第二次世界大戦以降、しっかりと世界戦略を進めていたということだ。コロナ収束後の世界で、中国のような国がこの星で派遣を握っていくことになるかもしれないということだ」
アドリアンは空を見上げながら笑った。

滞仏日記「哲学者アドリアンが語った、アフターコロナの力学」

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