JINSEI STORIES

退屈日記「完璧な男がやって来た」 Posted on 2020/05/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日は水漏れの工事の日で、実は、めっちゃ不安だった。つまり2か月も家から出ず、父子で力を合わせウイルスの侵入を防いでがんばってやってきたというのに、水漏れのせいで給湯器が動かなくなりそれを直す業者さんがやって来ることになっていたのだ。「パパ、せっかく二ケ月も頑張って来たのに、外部から業者さんにウイルス持ち込まれたら、一瞬でこれまでの努力がパーになっちゃう」と息子君。「でも、風呂にも入れない生活がこれ以上続いてもいいの?」「えー」「風呂に入るのがいいか、防御態勢を完璧にして受け入れるか? どうする?」ぼくらは数秒沈黙をして「風呂だね」と決議し、力を合わせて、給湯器までの動線の消毒などに全力を尽くすことになった。かくして、午前11時、ついに業者がやって来た。階段を上がってくる業者、ドキドキして待つ、ぼくら父子。すると、物凄いのがやって来た。「パパ! あひるさんが来た!」ええええ? ぼくらは失礼なことに大笑いをしてしまったのである。完璧じゃん、この人、と息子が日本語で叫んでいた。

退屈日記「完璧な男がやって来た」



思わずぼくは、「どうもどうも、ようこそ、しかし、あなた、完璧ですね」と思わず言葉が滑り出してしまった。めっちゃ大きな男で、青い手袋も嵌めている。外は暑いのに、なんか除菌シートで拭きやすい雨合羽型のロングコートを着ていた。
「すいません。いつもそんな恰好で仕事されてるですか?」
するとムッシュはこう言った。
「いや、いろいろな方の家に行かなければならないし、失礼だけで、自宅で隔離されてる人もいるわけじゃないですか? こっちも危険なんですね。でも仕事だし、働かないわけにはいかなくて。昨日までは政府の収入補償をもらって仕事してなかったのだけど、解除になったから、今日から働かないとならいんで、自分なりに考えて、こういう結論に至ったんです」
「フェースシールド、凄いっすね」と息子。すると業者の男性の目がフェースシールドの向こう側でニマっと撓った。
「この恰好で、車からここまで歩いてきたんですけど、子供たちに白い目で見られました。でも、やっぱり、怖いんですよ」
「ぼくらは大丈夫ですよ。日本人ですから、そういう衛生観念、よくわかります。むしろ、尊敬します」
「ありがとう。そう言って貰えると頑張ろうかなって気になる」
「ある意味、かっこいいですよ」と息子が言った。
そして、業者の男性は15分くらいで給湯器を直して帰っていった。その直前に、「実はぼくはライターなんです。日本の読者に、あなたの完璧なルックを届けたいのですけどいいですかね」とお願いし、写真を一枚撮らせてもらった。よく見ると、この人、笑っているのだ。きっと、いい人なんだろうな。「気を付けてお仕事続けてください」とぼくらは見送った。
もちろん、最高のお風呂であった。結局、自衛でコロナを近づけない、これに限るのだ。



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