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決定版「哲学者アドリアンとの対話、まとめ」 Posted on 2020/05/21 辻 仁成 作家 パリ

街の哲学者アドリアンがこのロックダウン中、そしてロックダウン後、ぼくに語った言葉を集めてみた。正しいと同調は出来ないが、言いえている点、なるほどと思う点、考えさせられる点、つまりそこには皮肉なヒントが満載だ。今日は彼の持論を時系列に沿ってここに再集結させてみる。とある日、ぼくらは街角で対話をした。

決定版「哲学者アドリアンとの対話、まとめ」



哲学者アドリアンとの対話、1
「いいんじゃないの。日本人はマスク好きだから、可能だろう。でも、俺はあんなもので口や鼻を塞いで、日本人みたいに生きれない」
「なんで?」
「だから、簡単に言ってしまえば、とっとと罹ってしまいたいんだよ」
「そういうペシミスティックな意見は日々頑張ってる患者に対して失礼だ、アドリアン」
すると、笑っていたアドリアンが真面目な顔になった。
「そうじゃない、ツジ。いずれ罹るなら、早めに罹って、抗体を持ちたい。問題は重症化するかどうかだ。80%の人間は軽症で済むし、想像するに、無症状がほとんどなんだ。感染者数なんかあてになるものか、何倍も感染者はいる。重症化するのは65歳以上が全体の70%だ。俺は63歳だから、ぎりぎりセーフってことになる」
「アドリアン、お前馬鹿か? 」
ぼくらは笑い合った。たしかに罹れば抗体を持つことは出来るが、永遠ではない。その抗体がどのくらい持続できるかは人ぞれぞれで、中には3か月で消えてしまう人もいる。中国では二度罹った人もいる。
「ツジ、俺の周りの仲間たちもみんな罹った。ほとんどがちょっと頭が痛くなり、倦怠感に見舞われ、喉が痛くなって、で、おしまい。もちろん、中には重症化して入院してしまった奴もいるし、俺の周りの奴じゃないけど、大学関係者で死んだ人もいる。でも、全フランスの人口からすると、多くない。今日までに1万3千人ほどの死者が出てるが、インフルエンザで罹って死ぬ人の数知っているか? 肺炎にかかって死んでる人が何人いるか知っているか? 癌で死ぬ人や白血病で死ぬ人も大勢いるんだ。コロナだけが病気じゃない。その中に自分が入る確率はどのくらいだと思う? っていうか、いつか俺もお前も死ぬんだ。ほとんどの人が無症状で終えているのがcovid19の正体だ。なんで、こんなにバカみたいに広まってるのかって言うと、こいつは新種のウイルスだから誰も抗体を持ってない。だから集団免疫がないせいで、物凄い速度で感染してしまう。潜伏期間が長いし、無症状者が多いから、リンクの分からない重症者が不意に出てみんなビビッてしまう。絶対に罹りたくないなら、無人島に行くしかない。核戦争下のシェルターに逃げ込むような感じにならなきゃならない。この俺が、そんな生活できると思うか?出来ない。マスクをするのでさえも嫌なんだ。もちろん、重症化したくはない。呼吸するたびにガラスを吸い込むような苦痛を覚えるのもごめんだ。でも、ならない可能性の方が圧倒的に高い。だから俺は、早めに罹ってだな、軽症程度で潜り抜け、抗体を獲得し、早めにこの精神的な苦難から逃げ出したいんだよ。俺にとっては罹ることより、毎日、家の中でじっとしていることの方が命を脅かしている。そういう人間も大勢いるんだ。政府はとっととこういう封鎖をやめて、みんなに感染させるべきだ。集団免疫を持つしか、人類がこのウイルスに勝つ方法はないんだよ。お前作家だろ? そんなこともわからないのか?」
「軽症で済むか、重症になるか、わからんだろ。16歳の女の子も死んだんだ。葉巻ばっかりすって、いつも飲んだくれてるお前が重症化する確率の方が圧倒的に高いと思うけどね」
アドリアンは苦笑しながら、肩を竦め、それから葉巻をうまそうに噴かしてみせた。
「ツジ、もちろん、国のルールは守る。国民としてそれが義務だからだ。でも、心が壊れてまで生き残りたくはないんだ。普通に生きていても交通事故にあって死ぬ人間が数えきれないほどいる。アフリカでは数秒に1人の割合で子供が餓死してる。みんな騒ぎ過ぎるんだよ。バカみたいにビビり過ぎている。アホか。こういう意見を言うと、一部の人間に叱られるのはわかってるが、みんな怖がり過ぎてるんだ。コロナに罹っても、どっちみち、重症化するまでは、病院のベッドは塞がっていて、入れない。でも、人工呼吸器を何週間もつけないとならない。苦しくなったら昏睡状態にさせられ、運が悪けりゃ、そのままあの世行き。そもそも薬なんかないんだ。罹ったら、俺は自分の部屋の鍵をかけて、そこで自分の運を試すだけだ。おかしいか?」

決定版「哲学者アドリアンとの対話、まとめ」



哲学者アドリアンとの対話、2
「ところでフィロゾフ、この世界がどうなるか、君の意見を聞きたい」
とぼくは訊いてみた。ああ、とアドリアンは肯った。
「まず、いわゆる民主主義が一つの結末を迎えるかもしれないな」
アドリアンはいきなりこのようなことを言いだした。それはどういうことだ?
「結局、俺は二か月間、このロックダウンを目撃し続けて一つの結論に至ったのだ。それはロックダウンのような強制力で国全体を隔離するってことは、民主主義の国家には向いてなかったっていう結論だ。中国のような社会主義の国じゃないと、そもそも国民が従わない。武漢で行われたロックダウンとフランスのロックダウンは根本が違っている。こんな風に市民が自由に出歩いていたら、中国だったら軍隊が出てきて即逮捕だろう。でも、フランスでは出来ない。日本もだろ?」
「日本は法律的にフランスのようなロックダウンさえ出来ないんだよ。もっと緩やかな強制力の伴わない要請レベルのソフトロックダウンだから、旅行に行く人も出ている」
アドリアンが小さく頷きながら葉巻をふかした。
「新型コロナのようなウイルスを封じ込める能力は中国の方がアメリカよりも圧倒的に強いんだよ。トランプ大統領は選挙で勝つことしか考えてないから、彼の得意分野である経済がダメになることは彼にとって敗北を意味している。なので、こんな状態だけど、命よりも経済を優先させる。で、これはどうなるかと言うと最終的に今以上の物凄い感染者を出してしまい、コロナイメージの負の力でアメリカの経済活動の根幹をマヒさせてしまうことになる。デパートの相次ぐ倒産、航空会社の倒産、自動車業界の衰退、アメリカを支えてきた大きな産業が傾斜する。中国だけに製造業を任せてきた第二次世界大戦以降のつけがここに来て西洋諸国を揺さぶっている。マクロンやジョンソンやメルケルは気が付いてるけど、後の祭り感はある。製造業を自国に取り戻すにはここから何年もかかってしまう。マスクがいい例だ。コロナのワクチンを真っ先に開発するのはアメリカじゃなく中国だろう。中国は社会主義国だからそれが可能なんだ。アメリカにも国防生産法ってのがあって自動車会社に人工呼吸器なんかを作らせているけど、そういうレベルじゃおいつかない。国の集中力が違い過ぎる。それは民主主義がはびこり過ぎことによる副作用なんだよ。中国を社会主義と言ったけど、正確には、資本主義体制を大幅に取り入れた中国特殊社会主義国と言えるだろう。ここがトリックなんだ。アメリカの場合、国民一人一人の意見が壁になる。もちろん、俺は民主主義の恩恵でこんな風に自由に生きてこられたわけだけど、新型コロナのようなパンデミック脅威に、民主主義はあまりに脆かったということだ。世界のパワーバランスで考えると、今はまだアメリカが若干勝ってるように見えるかもしれないが、今後、間違いなくアメリカは中国に及ばなくなる。コロナが収束しはじめた途端、米中関係は逆転している可能性がある。ってか、元々、もうそうなることは免れない状態だった。いいか、それが早まりつつあるだけだ」
アドリアンは小さく頷いて見せた。
「で、EUを見てみよう。イタリアで感染爆発が起こった時、EU諸国はイタリアを助ける余力がなかった。俺たちはヨーロピアンとして結束しているかに見えたが、それは違った。今イタリアで渦巻いているのは、憎しみだ。イタリアの国民はEUの国旗を燃やしてる。EUに裏切られたとイタリア人は思っている。そこに医師団を派遣し、人工呼吸器を送ったのが中国で、イタリアはもともと中国に接近していたけど、アフターコロナの世界ではさらに両国の結びつきは強固になる。それはEUの弱体化、もっと言えばEUの一つの終焉の始まり、ということに繋がる。イタリアはG7のメンバーだけど、中国が中心になって作る新しいG7に参加することを選択する可能性がある。そこにはロシアなどが参加し、アフターコロナの世界の新しい秩序を作ることになるかもしれない。英国が離脱したEUを率いるドイツとフランスはこのバラバラになりつつあるEUを束ねることが出来るだろうか? 俺が思うのは英国、日本、米国が中心になってもう一極を作るかもしれないけど、弱いな」
 アドリアンは豪快に笑った。
「アフリカで感染爆発が起こる時、アフリカ諸国はどの国に助けを求めると思う? すでに中国はアフリカのインフラを整備するために大勢の中国人と莫大な資本をアフリカに注入し続けてきている。アフリカを救うのは中国しかないんだよ。だから、WHOの事務局長がエチオピアの元大臣なのかもしれない。気が付いたら、中国は第二次世界大戦以降、しっかりと世界戦略を進めていたということだ。コロナ収束後の世界で、中国のような国がこの星で派遣を握っていくことになるかもしれないということだ」

決定版「哲学者アドリアンとの対話、まとめ」



哲学者アドリアンとの対話、3
「僅か、2ヶ月でフランス人は誇り高き自由の気風を捨てて、マスクをして、人を遠ざけ、こそこそ生きるようになった。マスクやフェースシールドは個人的なロックダウンの道具だ。一時流行ったグローバリゼーションとかインターナショナリゼーションに対抗するシンボルだ。元来、フランス人はマスクをするような民族じゃなかった。気風があわない。そもそもフレンチ・キスが出来ないじゃないか。日本人はマスクにSAKOKU(鎖国)の精神を重ねているんだろ? 違うのか?」
極論が飛び出し、ぼくは噴き出してしまった。彼はSAKOKUと発音してみせた。
「日本人は孤独に慣れている。孤独を愛している。孤独をリスペクトしている。世界中が笑っても、日本人はマスクをし続けた。何年も前から、ずっと昔から、日本人観光客はパリ市内を観光する時でさえマスクを離さなかった。俺たちは笑いのネタにしていたが、お前らが正しかった。慌ててフランス人はマスクを付けた。見て見ろ、つけ方がなってない。隙間だらけ、鼻を隠さず、何日も使い続け、裏も表も間違えて、ウイルスが付着した表面を次の日には口側にくっつけている。中には飛行機で配られるアイマスクをしてるやつまでいる。日本人はマスクを文化にした。なぜかというと、日本人は集団社会の中にありながら、孤独を守ってきた。マスクがその証拠だ。一人ロックダウンをずっとやって来た。ハグもビズも握手さえしない。お辞儀だ。社会的距離をしっかりとって、頭を下げる。ソーシャルディスタンスなんてものを誰からも教わらないで日本人は1000年以上、もっと前から、孤独の美学に基づく対人関係を構築してきた。わび、さび、茶室だ。飛沫感染をしない仕組みが元々あったわけだ、すごいことじゃないか。心を簡単に許さない礼儀だ。簡単に許さないが、相手にリスペクトを持っている。マスクがその証拠だ。日本人は自分の唾を相手に飛ばさないためにもマスクをするというじゃないか。孤独の極みであり、高いところで完成された文化なんだ。このことをフランス人は知らない。ただ、防衛のためにマスクを使ってる。それじゃ、感染は防げない。長い時間をかけて、自衛の精神を学んだ日本人だからこそ、感染爆発を防ぐことができているのかもしれない。日本政府が優秀なんじゃない、日本の歴史と国民が凄いんだよ」
鎖国という単語は新鮮だったけど、ぼくはちょっと唐突な意見にしか聞こえなかった。でも、アドリアンらしい皮肉たっぷりの意見でもある。
「日本は島国だし、アジアの外れにあるし、世界が沈没しかけても、農業を再建して、新しい鎖国をやったら、生き残れるんじゃないか? 俺が今日、お前に言いたかったことだ。世界がグローバル化し過ぎたことがこの時代の不幸を招いた。孤独を愛する者が生き残れる世界がそこにある。俺はこういう言い方しかできないが、日本は外の世界が勝手に押し付けてくるイメージに振り回されることなく、今は、第2鎖国時代に向かうべきだ。それも一つの手だよ。中国やアメリカとは距離をとること。農業を他国に任せちゃだめだ。懸命な経営者はこれから農業を始めるべきだ。飲食業が苦しければ、農業にシフトしたらいい。必ず必要とされる。食料の自給率さえ上げられれば、精神的SAKOKUは出来る。製造業も自分の国に取り戻せ。中国製のマスクじゃなく、これからは日本製のマスクを再び世界に販売する方がいい。多少貧しくなっても日本らしさは残る」

自分流×帝京大学

さて、先ほど、アドリアンからSMSが届いた。「最近、対話をしてないから、つまらない。夕刻、教会前の広場で議論をしよう」
ぼくは「いいね」と返しておいた。