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滞仏日記「フランスに暗雲、ロックダウンの後遺症」 Posted on 2020/06/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ロックダウン解除からちょうど一月が経ったが、ここにきてフランスがおかしなことになってきた。どうおかしくなったかというとまず、大人たちが仕事をしなくなったのだ。多くの会社員たちが出勤しない事態になっている。今朝、パパ友のレイナード(ウイリアムのお父さん)から電話がかかってきた。彼は経営コンサルタント会社を持っている。でも、ロックダウン解除後。部下たちが誰一人会社に来ないので困ってる、と言うのである。なんで?と訊き返すと、テレワークでも十分仕事がこなせることが分かったので出てこないんだよ、と言った。
「そんなぁ。会社に来ない会社員なんてありえないよ。給料払ってるのに。日本だったらクビになる話しだよ」
「でも、それがねー、出来ない」
「なんで?」
「ロックダウンは解除されたけど、実は、緊急事態宣言はまだ解除されてないんだ」
ハ? とぼく。
「政府も今はテレワークを推奨しているし、だから、強制することができないってわけだ」
「マジか」
「もし、来ないならクビにしてやる、とか言ったら逆に訴えられる。他の会社でも同じような現象が起きているんだ。うちだけじゃない」
緊急事態宣言にどこまで効力があるのかわからなかった。なんとなく、東京アラートみたいなものだろうか、と想像してしまう。
「仕事成立するわけ?」と訊いたところ、
「ロックダウンの2ヶ月でやり方を学んでしまったので、これが出来ちゃうんだよね」
とレイナードは他人事みたいに言った。
「じゃあ、オフィスいらないじゃん。なんのためにオフィス必要なの?」
「わからなくなってきた。スカイプやZOOMで会議は出来るし、お客さんとも別に会わないでもやれる仕組みが整ったし、みんな、会わないことが普通になってきたので、そもそも、会社の意味がなくなりはじめている。家賃かかるし、会社やめたいよ」



夕方、ロマンのバーに飲みに行った。テラス席でビールを飲んでいると、上の階に住んでいるカップルがやってきた。シアンスポーと呼ばれる政治家や官僚を目指す人が通うフランス最高峰の学校に通う二人で、学生だけど国から給料を貰って働いている。言わば、半社会人なのである。
「あれ、仕事は? もう終わり?」と訊いてみた。
「ムッシュ・ツジ、今はテレワークでいいんですよ。家で仕事してます」と彼氏の方が言った。
「大丈夫なの? 君たち国の関連で働いてるんでしょ?」
「ええ、まあ」と彼女。人目を気にしながら、控えめに言った。
「それが、なんか政権が変わるかもしれないですよ」と彼氏が言い出したので、驚いてしまった。聞き間違いかな、と思ったので、なんだって? と訊き返した。
「大統領が辞任するかもしれないの」と彼女が付け足した。
ぼくは飲んでいたビールを噴き出しそうになった。
「辞任? 辞任って、まだ任期が2年くらい残ってるのに?」
「ええ、噂です。大統領府は否定しているけど、マスコミは結構、騒いでます。3年前に掲げた公約を果たせずに来てしまった。とくにコロナのせいで、だから、ここで仕切り直したいんだと思う」と彼氏。
「しかし、辞任って、しかも、このタイミングで、やっとコロナが終わったばかりで、再選挙している間の空白期間はどうするの? 一瞬でも、リーダー不在になるわけでしょ? 衝撃的過ぎない?」
「マクロン政権はここに来て、求心力が低下しつつあるので、大統領は対立候補がいない今、あえて大統領選に打って出て、再選を果たし、強い政権を作り直したいという思惑があるわけです」
「なるほど。仕切り直すんだ。でも、国民も複雑だよね」
「そうなるなら、ぼくは支持しますよ。求心力を回復して、ともに乗り切っていく方がフランスらしいから」
「14日の日曜日にテレビ発表があるかもしれないという最新のうわさです」と彼女氏。
「それはコロナに関しての発表だろ。もしかしたら、そのことに言及するかもしれないけど、わからない」
と、遮るように、彼氏。
「あの、ムッシュ、私たちは大統領の味方です。政権運営ってどこの国も大変なんですよ。黄色いベスト運動だ、国鉄のストだ、コロナだ、って、いろいろ続きましたから」

そこに街の哲学者で物知りのアドリアンが通りかかったので、本当なの? と訊いてみた。するとアドリアンは笑いながら、だから俺は出馬の準備をしているんだ、マクロンに勝てる男は俺しかいないからね、と豪語した。一同が大笑いになったけれど、正直、ぼくは心の底から笑えなかった。やっとロックダウンが終わったばかりだというのに、辞任だなんて、そんなことがあるだろうか。自分の国じゃないので、とやかく言えないけれど、進学を控えた息子にとっては安定した社会が必要なのだ。



家に戻ると、相変わらず、息子が仲間たちとゲームをやっていた。午前中は体育の授業があったので、廊下で上半身裸でダンスを踊っていた。ランチの後は子供部屋から物理の女性の先生の声が聞こえていた。今は、ゲーム音が途切れない。ウイリアムとアレクサンドルの叫び声が響いている。部屋を覗くと、壁際の机に向かって、キーボードを操作している息子がぽつんと一人。大きなスピーカーから子供たちの声が溢れ出ていた。実に奇妙な光景である。賑やかなのに、孤独…。ロックダウンになってからずっと、解除後も、子供たちは家から出ていない。3ヶ月になるが、部屋から出なくとも成り立つ子供たちの社会というのも不気味である。

せっかく、コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかかり、一定の成果と安全が宣言されたフランスだが、ここに来て、長かったロックダウンの後遺症に見舞われている。会社に行かない大人たち、家から出ない子供たち。辞任するかもしれない大統領…。この国の先行きがちょっと分からなくなってきた。でも、ぼくはぼく。惑わされず、太陽のもと、明るく社会復帰を目指していきたい。

滞仏日記「フランスに暗雲、ロックダウンの後遺症」

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