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退屈日記「鹿の群れがパリ市内を横断したロックダウンの日々を懐かしむ」 Posted on 2020/06/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昨日、エッフェル塔の上空にかかる光りの梯子(エンジェルス・ラダ―)のことを書いたけど、その時、ぼくの横に立ったホームレスの人は公園の脇に住んでいる人だと思う。だと思うと書いたのは、ちゃんと顔を凝視出来なかったからだ。雰囲気があの人に似ている、とあとで思い出した。アドリアンが街の哲学者だとしたら、その人はこの街の神様、或いはこの街の詩人かもしれない。彼の家はキャンプ用のドーム型テントで、面白いのは小さな家みたいにして暮らしていることで、ぼくは彼の住処をパレスと呼んでいる。

退屈日記「鹿の群れがパリ市内を横断したロックダウンの日々を懐かしむ」

門の前には花壇まである。生の花じゃなく、造花なのだけど、でも、造花という発想に唸ってしまった。その花壇の配置にとっても人間的な豊かさを覚える。しかし、このホームレスさん、結構、気性の荒い人で、通行人ともめているのを何度か目撃したこともある。昨日、ぼくの横に立った時の口ぶりは穏やかだったから、もしかしたら、別の人かもしれないけれど、犬猫に愛されるぼくには敵意を持たなかったのかもしれない。(ほんとうにぼくは犬猫鳩には愛される人間なのである。人間以外の、笑) 

退屈日記「鹿の群れがパリ市内を横断したロックダウンの日々を懐かしむ」



そもそも、街角で、不意に声をかけられたりすると顔を見れないものである。ところで、ロックダウン中と解除後の世界が大きく変化をしたことにぼくは気が付いた。

ロックダウン中は、彼に限らずホームレスの人ばかりが目についた。彼らは暮らす場所がないので、公園とか街角で暮らしている。普段は人が多いので彼らの存在は隠されがちだ。しかし、コロナが蔓延し人々が家から出られなくなっている間、この世界を自由に使ったのは他でもないホームレスの人々であった。公園はどこもロープが張られ入ることが出来ないのだけど、彼らはその対象外なのか、誰もいない公園の広々とした空間を自分の庭のようにして、くつろいでいる姿が、そこかしこで目撃された。こんなにホームレスの人がいたのだ、と驚くくらいに、パリ市内、街の神様たちだらけだった。警察も排除できない。時々、巡回するお巡りさんが、健康状態や食事の心配などをしにやってきて、話し込んでいるのを見かけた。むしろ、彼らは人間のいない世界を喜んでいるようだった。ロープが張り巡らされた広大な芝生の真ん中で寝転がっているホームレスをロープの外でマスクに手袋の恰好で眺めているぼくはどうなんだろう、と思った。どっちが人間らしいと言えるのかわからなくなる。しかし、このロックダウン中、自由だったのはホームレスの方々だけじゃなかった。

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パリ市内の大通りに何度も鹿がやって来た。セーヌ河畔の通りには鴨の親子が暮らしていた。ぼくの家の近くでもリスとかきつねが我が物顔で走り回っていた。こんなに動物がいたんだ、と驚くほどに。人間がコロナを怖がって家から出られないことをいいことに、パリは全域が自然動物園みたいになっていた。パリ市内を鹿の群れが闊歩する動画をあちこちで見たけど、車も走ってない、人もいない廃墟のごとき街中を優雅に歩く鹿の群れはまさにSF映画のようであった。

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パリは大気汚染が凄く問題になっていて、以前の世界では、大気汚染計測アプリを覗くと一週間置きくらいに画面が赤くなっていた。外を普通に歩いちゃいけないレベルなのだ。ところがロックダウンの最中は車が走らないものだから、空気が新鮮で、その結果、夜空に星空が輝いていた。まるで北海道の原野で子供の頃に見た光景のようだった。パリは空が低いから、大気汚染さえなければ美しい星空を拝むことが出来るのだ。ホームレスの人たち、動物たち、そして星の瞬きまで、あの二ヶ月間のパリは別世界であった。でも、ロックダウンが解除され、人々が街に戻り、会社がはじまり、子供たちが再び走り回るようになって、いわゆる日常というものが戻って来たことで、ホームレスの人々は所定の位置に潜り込んでしまった。動物たちはどこかに隠れてしまった。鹿軍団は森に帰って行った。そして、星の瞬きを見上げることが出来なくなってしまった。文明と自然との差を思い知らされた、いい機会でもあった。

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自分流×帝京大学