JINSEI STORIES

滞仏日記「この日記はどこまで本当のことが書かれているのか」 Posted on 2020/07/27 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、車に乗らないのとならない用事があったので、エンジンをかけようとしたら、またかからなかった。思わずハンドルを叩き、くそ、と叫び、一昨日に続き、再びロードサービスの人に来てもらうことに…。やれやれ。今度はブルース・ウイルスじゃなく、ジャッキー・チェンがやってきた。でも、いい人で、一昨日もエンジンかからなかった、と言ったら、「これはバッテリーの問題じゃなく、電気系統だよ、今時の車は余計なものつけすぎるんだ」とブルース(一昨日のロードサービスのブルース・ウイルスくりそつおじさん)と同じようなことを言ったので、長文の抗議文をその場で認め自動車販売店に送りつけてやった。

滞仏日記「この日記はどこまで本当のことが書かれているのか」



『この修理費をぼくが負担するのはおかしいし、新車なのに毎回エンジンがかからないのに、ロードサービス呼ぶために、毎回、140€払うのは異常ですよ』と。『これは、どう考えても不条理すぎる』先方の窓口の女性に昨日電話で同じようなことを抗議したら、我々に払う義務はないわぁ、とつけまつげが跳ねるような口調で言い張るので、ぼくはそのフランス流の言い張り方が本当に許せなかった。じゃあ、新車の意味がないじゃないか、と言いたい。でも、ミスターサンデーの収録時間が迫っていたので、慌てて家に帰って、気持ちがぐんと萎えている中、パソコンをセットし、宮根さんたちと向きあうことになる。だから、ちょっと元気がなかったのだ。

放送が終わり、キッチンでコーヒーを飲んで心を落ち着けようとしていると、そこに絶交中の息子がやって来て、ぼくの横に立ち、まるで警部が尋問するような感じで、ぼそっと「パパ、デザインストーリーズにアレクサンドルのアルバイト料のこと書いた?」と言い出した。
「ぎょええええええっ?」
と心の中で叫んだけれど、顔には出さなかった。ポーカーフェース。

「アレクサンドルが、君のパパ、家庭内アルバイトでぼくが200€毎月稼いでいるとか書いたの?と訊いてきたんだ、さっき」
一瞬、目の前が真っ青になった。そういえば、リサが時々、ぼくの日記を翻訳機にかけて読んでいる、ああ、忘れていた。(※リサ、ダメじゃないか。子供たちに、筒抜けだよォ)
「いや、そういう主旨の文章じゃないぞ。フランス人の子供たちはアルバイト出来ないので、家の仕事を手伝ってお小遣いを稼いでいる、とっても立派だ、というハートウオーミングな文章だし、アレックスがもしリサの仕事を手伝った場合、最大で200€になる、とリサ本人から訊いたので、書いた。書いていいよ、と前に、二年くらい前のことだけど言っていたから、多分、問題はない。違うか?」



「いや、アレクサンドルがね、ぼくはそんなに貰ってないと言い張ってて、何の話しかなと思ったら、パパが書いた、って言うからさ」
「あのね、グーグル翻訳機とかエキサイト翻訳機とか、ネットの奴ね、あれ、ニュアンス間違えるから、気を付けないとダメなんだよなぁ。ちゃんと訳したら、誤解は晴れる。晴れ渡る。日仏の文化比較の記事で、ちゃらちゃらしたものじゃない。日本の読者の皆さんは、パパがしっかりリサーチして書くことで、フランスと日本の違いを比較してだな、子供のお小遣いをどうするか考える基準の一つにされている。アレクサンドルを通して真面目なフランスの高校生の実像に迫る、非の打ちどころのないリポートだ。ほら、日本にはアルバイトがあるけど、フランスには、アルバイトないじゃん? そういう主題だ。パパは作家だから、日々の出来事をもとに哲学的な考察をしてる、に過ぎない。哲学だ、お前も哲学好きだろ」

息子がじっと、ぼくの目を覗き込んできた。やばい。この数日の息子への怒り心頭に発した記事については報告をしてない。じつは、彼がアンナの家に泊りに行ったことなどは、書くぞ、と言って許可を貰っている。作家の仕事を、彼もその息子だから、ある程度は理解してくれている。本人も、別にここはフランスだし、日本の皆さんが和んでくれるなら、いいよ、と書くことを許可してくれている。なので、ぼくはぼくなりに、名前を変えて、住所なども変えて実は日程さえずらして、ここに書いている。読者の皆さんもそこは理解してくださると思う。なので、アンナの名前は実はアンナじゃない。街の哲学者アドリアンも実はちょっと変えてある。カフェの名前とかは基本出さない。迷惑がかからないように、少しずつ手を加えているのだ。エンジンかからない車だって、自動車メーカーで働く人に責任はないので、メーカー名が分からないように、文章も写真も、工夫している。一昨日の記事を見て貰えばわかる。エンジンを隠して撮影しているのだ。偉いじゃん、俺!



実は息子の名前も出してない。ぼくからフルネームを出したことは一度もない。現在は統一して「息子」にしている。ただ、リサ、ロベルト、アレクサンドルの3人に関しては、ぼくがツイッターを始めた頃からの出演者なので、時すでに遅し。(もちろん、それでも、フルネームは掲載していない) しかし、息子にいろいろとチクる人がいる。なので、ぼくもちゃんと用心をしてきた、つもりだ。実際に書かれてあることはぼくらの日常で起きていることだけど、それが現実に繋がらないように相当に工夫して書いていることを、ご理解頂きたい。じゃないと、作家は仕事が出来なくなってしまう。

でも、この数日の、ぼくが息子に対してキレていることに関しては、ごめん、筆が滑った。あまりに頭に来ていたので、本当のことを正直につい書いてしまった。で、横にいる息子の視線が気になる。リサが、こういう風に書いているよ、とチクったとしたら( ^ω^)・・・。「バカ息子」と、手が滑って書いた気もする。いや、絶対、リサは言わないと思うけれど、アレクサンドルの200€のことがあるので、…ビビっている。

でも、とぼくは思った。別にいいじゃないか、本当ことだ。こいつが、親に対して失礼だから、当然の態度をとったまで。間接的にパパの怒りが伝わったなら、嘘じゃないので、結構でござる、と腹をくくった。
すると息子は、
「アレクサンドルがね、もし可能なら、120€くらいに修正しえ貰えないかって。可能?」
と言ったのだ。
「120€ね、分かった。お安い御用だよ。なんだ、そんなことか、いくらでも変更するから、なんかあったら、また言ってね」
息子が笑った。ぼくは足が震えていたが、愛想笑いをしてごまかすのが精一杯であった。いやいや、車はエンジンがかからないし、受付嬢は生意気だし、なんで毎日、こんなに面倒くさいことばかり起きるんだ。それでも、ぼくは息子を許しているわけじゃない。まだ、怒っているのだ。

滞仏日記「この日記はどこまで本当のことが書かれているのか」

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滞仏日記「この日記はどこまで本当のことが書かれているのか」

夕食は手作り豚まんにした。皮を手でこね、肉の味付けし、一つ一つ、餃子を包むような感じで、きゅっきゅっと愛情をこめて丸く包んでいった。それを蒸し器に並べ、ふかした。息子はダイエット中だったが、「今日は、あまりに美味しいから、ダイエット一日休むね」と言って、作ったものをほとんど平らげてしまった。全部売り切れる時、親というのは、嬉しいものである。ここの部分、偽りはない。

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