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退屈日記「8月8日、今日の雑感」 Posted on 2020/08/08 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、新型コロナに関するいろいろな報道が出回っているのだけど、楽観的なものも悲観的なものも様々あり、何を信じていいのかちょっとわかりにくい状況だと思うが、まさに、このような先の見えない現状こそ、私たちを不安に落とし込むこのウイルスの複雑怪奇な正体なのだ。ワクチンの開発合戦が続いていて、日本政府もイギリスやアメリカの製薬会社と次々大規模な契約を結ぼうとしているけれど、風邪のワクチンさえ存在しないのに、同じコロナウイルスであるCOVID-19のワクチンがいきなり登場するのをぼくは両手放しで受け入れることが出来ない。自分は多分、それを自分も含め、家族に接種させることはしない。正直、今、一番怖いのはこのワクチンビジネス化しようとする世界各国政府の迷走ぶりだと思う。ロシアなど三段階必要な最終試験をすっ飛ばしてこの10月から実用化するというので、驚きを通り越して恐怖さえ感じる。実験台になる人たちが可哀そうだ。



今日のニュースで日本の国立感染症研究所の研究チームの話しとして「新しいタイプの遺伝子配列を持つ新型コロナウイルスが6月以降日本全国に拡大中」というのがあった。6月以降、全国で急拡大しているのはこの新しい配列の新種だというのだ。これは非常に興味深いニュースだと思う。これが事実だとすれば、事実なのだろうが、現在開発中のワクチンは効かない可能性が高いということを物語っていないか。全然違う配列の、粗製乱造とは言わないが、治験も十分ではないものを摂取して、本当に大丈夫なのか、と、素人のぼくでさえ考えてしまう。医者も科学者も人によって全く違うことを語っている。



ある報道によると、日本人の感染者が重症化しないのは集団免疫をすでに獲得しているからだ、みたいな安心感を与える記事が結構、出回っていたりするのだが、上記の国立感染症研究所の見解とはずいぶんと異なるわけで、こういうものを鵜呑みには出来ない。まだ、コロナパンデミックは始まったばかりで、誰にも予測がつかない、というのが現状の世界状況であろう。なのに、普通何年も実用化までに時間の必要なワクチンを大統領選挙までに間に合わせる可能性があると語るアメリカの大統領の談話など、笑い話にしか聞こえない。ぼくがそれを摂取したいと思うのは副作用などの問題が解決してからだし、新型ウイルスの解明がもっと進んで安定的なワクチンの供給が確認されてからになる。インフルエンザだって変異してワクチンが効きにくいのに、もっと変異の特殊な新型コロナのワクチンが有効とは思えない。ここは冷静に見極めていくしかない。

けれども、初期に強毒化して多くの犠牲者を出した新型コロナが、ウイルスそのものの生き残りをかけて、感染力を増す一方で弱毒化説しているという説には希望を感じる。6月以降に新しい配列を持った新型ウイルスが日本で拡大しているという話しとも通じるからだ。でも、数か月先に全く新しい配列を持った最新型のコロナが日本や世界で猛威をふるっている可能性もあるので、もう少し時間をかけて見極める必要がある。ぼくのスタンスは明確で、この感染症パンデミックは相当に長期化する見通しなので、目先の報道や記事に一喜一憂せず、自己防衛力を高める基本行動を心掛けることが大事。それはフランスにいようが、アメリカにいても、日本であっても、やるべきことは、マスク、3密を避け社会的距離の確保(2メートルの)、手洗い、消毒しかないのである。将来的には、自分の日常を少しずつシフトさせ、コロナと関わらない新しいライフスタイルの構築を視野に入れて長期的な人生計画を持つしかないと感じている。仕事の仕方、人間関係の在り方、子育てや家事についての考察を続けていく。



ロックダウン中、ぼくは「新しい価値観」が押し寄せてくると発信し続けていたが、その時には、その新しい価値観の意味がまだ分かっていなかった。でも、あれから数か月が過ぎ、そういう小説や本を書き続けながら、ぼく自身が辿り着いた新しい価値観の意味がだんだん分かってきた。一見、何も変わっていないようなこれまでの日常の中にいながら、ぼくらは少しずつここが今までとは異なる別世界だということを自覚させられつつある。これが新しい価値観の正体であった。少しでも早くそのことを受け入れ、試行錯誤を繰り返しながらも、自分に出来る、自分にあったライフスタイルへと生活そのものをシフトさせていくことが、精神的被害をもろに受けないための一つの策かもしれない、と思うようになってきた。それが何かということを熟慮することが、ただワクチンを希求することよりも今の自分には大切なことだったりする。 

退屈日記「8月8日、今日の雑感」

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