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滞仏日記「親に釘を指す息子、またまたカチーンの父ちゃん」 Posted on 2020/08/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、フランスの田舎生活、二日目の朝、ぼくは屋根裏部屋の寝室で目が覚めた。起きたらいつもと天井が違って三角だったので、なんだか気分が変わった。息子がネットで見つけた海沿いの小さな家だけど、周りにぽつんぽつんと民家が立っているだけ、本当に自然に恵まれた、本当に人のいない、本当の村なのだった。
「パパがパリを離れて人のいない村で暮らしたいというから」
と言って見つけた場所だけど、よく考え見てよ、と息子は言った。
「今は、コロナやいろいろな問題があって都会を離れたい気持ちはわかるけど、ぼくはパリで学生をやらないとならないので、パパには付き合えない。つまり、パパはここに一人で暮らさないとならない。夜に誰かと会いたくなってもバーもないし、仲間もいないよ。ずっとここで一人暮らしになるけど、大丈夫? そこをよく考えながら、これからの一週間ここで過ごしてみたらいいんじゃない?」

滞仏日記「親に釘を指す息子、またまたカチーンの父ちゃん」



ぼくが広い部屋を使い、隣の子供部屋で息子が寝た。2LDK、50平米という感じの田舎の家であった。大改装が行われたばっかりで、居心地は最高だった。人がいないのでとっても静かで、昨日の夜は、窓を開けると、すぐ頭上に星が輝いていた。可愛いバスタブが窓辺にある、変わった造り。ぼくの部屋には畳1畳にも満たない小さな小さな仕事場が付帯している。絵に描いたような狭いスペースだけど、小さな窓があり、遠くにうっすら海が見えた。窓から顔を出すと左手に灯台が、遠くにイギリスが見えた、気がした。(実際にはイギリスではないはずだ、…)

滞仏日記「親に釘を指す息子、またまたカチーンの父ちゃん」

滞仏日記「親に釘を指す息子、またまたカチーンの父ちゃん」

一階はサロンなのかキッチンなのかわからない空間で、理想的なオープンキッチンになっており、料理好きなぼくとしてはたまらない。キッチンの窓から石段の小道が浜辺まで伸びていて、これが実に絵になり、癒される。息子の部屋は4畳半程度の部屋だがシャワー室完備なので、会いたくなければ、お互い部屋に籠って会わないでも済む。家の横に小さな庭があり、そこに椅子を持ちだし、ぼくはギターを爪弾いて、過ごしている。裏が森で、馬の道もあり、反対側は、海。フランスの田舎で暮らしたことがないので、どういう人たちが住んでいるのか、全く想像もつかなかった。そこで、食料を調達しに、息子と出かけることになる。

滞仏日記「親に釘を指す息子、またまたカチーンの父ちゃん」



ところが、その村はあまりに小さくて、食料品店がなかった。村の人(ぼくよりもうんと年配のおじいちゃん)に聞いたら、高速の入り口にあるスーパーマーケットまで行かないとならないよ、と教えてくれた。引き返し、車に乗ってスーパーまで15分、一週間分の食材を買い込むことになる。
「ここで暮らすと、こういうことになるよ。大丈夫?」
「それはそれでいいんじゃないか?」
「パパ、旅行と生活はぜんぜん違うからね、この村の人たちしか会う人がいない。見渡す感じ、パパが好きな若い女性とかいないんだけど」
「あのな、最近、パパは若い子にはまったく興味がないんだよ」
「嘘だ」
「嘘です」
ぼくはそくざに前言を撤回しておいた。
「ともかく、見てよ。みんなパパよりも年配の人ばかりだ。こういう過疎の町でパパはよそ者の日本人として生きることになる。露骨な差別はないかもしれないけど、ウエルカムじゃないかもしれないね。やっていけるのかな? パリジャンはコスモポリタンだから、何人であろうと面白ければ受け入れてくれるけど、こういう田舎の村は保守的だよ。パパがどんなに面白い日本のおじさんでも、ダメだからね。パリに帰りたいよ、って家を買ってから言っても遅いんだ。パパはいつだって見切り発車で失敗をする。失敗ばかりだ」
くそ。悔しくて、奥歯を噛みしめてしまった。でも、この子は結構、厳しいことを言うが、筋は通っている。なので、ちゃんと聞いて判断材料にしておくのがいいだろう。パリは大都市なので、揉めても、自分を通すことが出来るが、ここで揉めると、八方塞がりになる。心細くなってきた。パリだったら、寂しくなれば、クリストフとかロマンの店にいき、油を売ればいい。でも、ここには、そもそもバーなんてものはない。いや、カフェさえないのだ。
「カフェがないね」
「そこだな、問題は」

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トマトスパゲッティを作って、昼は外にテーブルを出して食べた。海の方には日曜日だから、どこからともなく、人が集まり始めていた。さびれた海水浴場なのであろう。でも、ちらほら、若い子もいる。いるじゃん、若い子。
「あの子たちはどこから来たんだろう」
「周辺に街があるのかもね」
「でも、あの子たちの中にパパが呼ばれて混じることは99%ないでしょ。いや、100%ない、相手にされないよ。そもそも、パパのフランス語は酷い」
くそ。
「夏のあいだは、海に人が集まるみたいだね。でも、冬は逆に物凄く寂しくなるよ。打ち付ける風や波を想像してごらん。窓がガタガタ鳴るし、風がヒューヒュー吹きすさぶんだ」
息子は本当に嫌なやつだ。
「真冬の北フランスは凍えるように寒くなる。今はいいけど、雪も積もるだろうし、ますます孤独になるよ。パパはだいたい、おしゃべりなのに、一日中、黙っていて、大丈夫なのかな?」
「だから、犬でも飼うよ」
「そうだね。しかし、それでも寂しいと思うよ。人っ子一人いなくなる」
「お前さ、パパの夢を次から次に破壊して、いったい何が楽しいの?」
「別に壊してないよ。でも、現実的なことを考えると、都会しか知らないパパの性格をよく知り尽くしているぼくだから、心配になる。他にアドバイス出きる人間いないでしょ」
「恩着せがましい」
「でも、ここじゃ、出会いもないよ。田舎じゃなくて、せめて、数万人程度の町の近くにしたら? 田舎と決めつけなくて、パリ以外の中都市にするとか…。カフェが2、3軒あるところがいいんじゃない? 老後を考えるのは悪くないけど、まだ、60歳なんだし、ひきこもったら創作も何も出来なくなるよ。田園みたいな小説ばっかり書いても誰も読まない」
「うるさいな。パパの仕事にまで口を出すなよ」
「トマのお母さんがパパのことかっこいいって言ってたよ」
「どういう意味? 」
「あの人もシングルマザーだから、まず、婚活でもしてみたら? 」

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ぼくは夕方、一人で海辺を歩いた。パリは猛暑で40度近くあるのに、この辺は30度くらいで涼しい。そして、浜辺は穏やかだった。貝殻を拾って歩いた。どうやって生きるのか、それはコロナ禍のこの時代、とっても大事なことだった。息子の意見もよくわかる。彼は反対をしているわけじゃなかった。ころころと意見の変わるぼくの性格を知り尽くしているので、釘を刺したに過ぎない。でも、文明の速度に合わせて生きることに飽きてしまった。結果、コロナのような感染症パンデミックが人類を待ち受けていたのだ。生き方を変えるのは、まだ身体も心も動く今しかない、と思った。間違えてないような気がする。踏み出せるかどうか、が今、問われてるのだ。自分が何を目指して生きようとしているのか、ここに滞在している間、自問し続けてみよう、と思った。

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