JINSEI STORIES

退屈日記「家事に疲れ切ったおやじ、生活臭いぼくの戦い」 Posted on 2020/08/27 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昨日からまた、家事が一切できなくなった。たまになる症状だが、家の電源のようにぼくの頭の中にいくつかブレーカーがあって、その中の「家事」ブレーカーが落ちたものと思われる。昨日の昼はいきつけのレストランに食べに行き、夜は出前だった。思えば一昨日の昼は息子に作らせ、夜は冷凍食品をチンした。ここのところ、何かが変だ。男にも更年期障害があるというから、それかもしれない。やる気も生きる気力もあるのだけど、何かが動かない。コロナじゃないし、体調はすこぶるいいのだけど、どうも、心に問題があるようだ。コロナ鬱も多少あるだろう、あれだけのロックダウンを経験した。3月、4月、平静を装っていたけど、もしかすると精神的な衝撃を受けていて、今頃、後遺症が出ているのかもしれない。ああ、それはあり得る。ここまで書いてやっと合点がいった。ロックダウンの後遺症だ。打ち寄せるようなこの不安は、それだ。これはなんとかしないと生活がやられてしまう。

退屈日記「家事に疲れ切ったおやじ、生活臭いぼくの戦い」



ぼくはまだ仕事も頑張らないとならない年齢なのだが、子育てと家事でその多くの時間を奪われている。昨日もそのことで悩んだ。もっと自分は創作に向かいたいのだけど、朝昼晩とご飯を作らないとならない。ご飯を作って、食べたら片付けて、買い物に行って、準備して、またご飯食べて、片付けて…。この繰り返しで、その間に、部屋の掃除とか、洗濯とか、これじゃ仕事なんかまともに出来やしないと思ったら、人生が真っ暗になった。こんなことを離婚のあと、ずっと続けてきた。もちろん、頑張るしかないのだけど、実際、シングルになったら、一切待ったなしになり、子供が年齢的にも急速に成長したので、学校関係のことなどやるべきことが増えた。家政婦さんを雇えばいいのだけど、コロナが心配だ。週に一度、窓拭きなど大きな仕事を頼んでいた人はロックダウンと同時にやめて貰った。それでだ、家の仕事が急増し、すさんでいる。

退屈日記「家事に疲れ切ったおやじ、生活臭いぼくの戦い」



あ、ぼくはきっと、叫びたいのだ、と思った。間違いない。ここ最近、不意に暴れたくなる。もちろん、暴れることはないのだけど、そういう時、ぼくは走るようにしている。焦りがある。もっともっと仕事をしたい。仕事が出来る年齢なのに、出来ない自分が悔しいのだ。創作の時間が欲しい。生きている間に、自分が納得できる大きな仕事をしたい。そのためには時間が欲しい。切実に欲しい。でも、まとまった時間はない。もちろん、時間をやりくりしてなんとか仕事もやってる。小説だって書きあげたし、こうやって日記も書いているのだけど、オリンピックに出場する選手のように、集中出来たら、専念できたら、もっともっと誰もが出来ないものが作れるのに、という自信だけはあって、歯がゆくてしょうがないのだ。贅沢なことを言うな、ともう一人の自分が叱る。これの繰り返しだ。人の成功が羨ましい。



主夫(主婦)の仕事量は半端ない。やってる方にはわかることだけど、物凄い。働くのも物凄い。その両方をやらないとならないぼくも物凄い。こうやって、活字にすることで多少の憂さは晴らせる。まだ今は健康だけれど、これで身体のどこかに異変がおきたら、それこそ、コロナにでも罹ったら、と思うとぞっとする。そういう不安がぼくをきっとどこかで苦しめているのだろう。ロックダウンのあの厳しい制限下で、頑張った分、今頃になって、反動が押し寄せているのに違いない。ぼくがパリを離れたいと思うのは、きっと、この不安から逃避したいのだと思う。みんな、偉いなぁ、と思う。大変さは一緒なのだろうけど、文句も言わずに生きている。見習わなきゃ、と思う反面、夢を諦めきれない。ずっとベンチに座って、出番が来るのを待ち続けるのだろうか? いいや、それでも生活は続く。さすがに今日は洗濯をしないとならない。起き上がらなきゃ。こんなことで人生に負けているわけにはいかないのだ。来週火曜日、息子は高校二年生になる。余計なことは考えるな。

退屈日記「家事に疲れ切ったおやじ、生活臭いぼくの戦い」

自分流×帝京大学
第4回新世代賞 作品募集中