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滞仏日記「哲学者アドリアン、菅さんを語る」 Posted on 2020/09/15 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、午後、家事が終わって買い物に出ると、教会裏のいつものベンチで我が街の哲学者、アドリアンがまた葉巻を燻らせていた。
「よー、エクリヴァン(作家)」
「やあ、フィロゾフ(哲学者よ)、元気かい?」
怖い顔をいっそう怖く撓らせて我が街の哲学者は微笑んだ。
彼はいつもル・モンドを愛読している。ル・モンドと葉巻が彼のトレードマークである。
ちなみに、ル・モンドは左派系の新聞。フランス人は決して自分の思想をひけらかすことはないけれど、匂わせる。
毎日、隅々までル・モンドを読んでいるので、彼の哲学的思想もだいたい、そこが基準なのであろう。
ちなみに、フィガロ紙の読者層は右派、リベラリオンが中道左派、社会主義よりで、読者層は左派かな。レ・エコ紙の編集ラインは独立系、政治色というより経済重視かもしれない。
アドリアンは左派だけど、変わり者哲学者の左派なので、時々、右派寄りの発言をすることもある。
「日本は新しい首相になるんだね。スーガーさんだ」

滞仏日記「哲学者アドリアン、菅さんを語る」

滞仏日記「哲学者アドリアン、菅さんを語る」



ぼくらは新首相になる菅義偉氏について語り合ったのだが、まだ情報が少なく、さすが物知りのアドリアンといえども多くを語ることが出来ずにいた。
なので、いろいろと聞かれたのだけど、ぼくも実は情けないことにあまり知らない。二世議員じゃないこと、秋田出身で、政治家の秘書として11年の下積み生活など…。
つまり、そのくらい、フランスでは、菅さんの情報が無いのだ。いろいろと短いニュースにはなっていたけど、まだ特派員がまとめきれてない。

「でも、日本らしい選択だな。大きな変化を好まない日本人らしい安定した選出だと思う」
とアドリアンは気を使って言った。珍しく彼が間違えた発言をしたので、
「直接選挙で選ばれたわけじゃない。彼は首相だ」
とぼくが指摘すると、おっと、失礼、そうだった、と言い直した。
「ただ、欧州ではあまりに知られてないから、評価出来ない。難しい時代だから、手腕が問われるね」
アドリアンはそう言って、逃げた。
多くの問題を抱えた日本のかじ取りをするのに、71歳の菅さんがどれほどの手腕を発揮できるのか、これはぼくにもわからない。
コロナ、オリンピック、経済力の低下、環境問題、米中問題などを捌けるのか、確かに手腕が問われる。

滞仏日記「哲学者アドリアン、菅さんを語る」



「ツジ、お前はどう思うんだ? 彼はいい首相になるのか?」
「期待はしたいけど、年齢的にも若くないので、でも、もちろん、首相になられたら、国民のために頑張って頂きたい。今、日本はいろいろと問題を抱えている。個人的には若いリーダーが必要だとは思うけど、日本は年功序列だし、大統領選挙みたいに直接国民が選べないから、いつも、新政権が生まれる度、与えられた感がぬぐえない。ただ、若い政治家がいいと言っても、国際的な経験が少ないから、このような厳しい時代に世界と渡り合えるのか、という疑問も残る。日本にはシアンスポーとかエナなど、専門の政治家養成学校もないし、それから」
「それから?」
「菅さんの真価が問われるのは内政だけじゃないんだ」

滞仏日記「哲学者アドリアン、菅さんを語る」



するとアドリアが誇らしげに言った。
「その点、大統領制はいい。国民が選出した気持ちにはなる」
ぼくらは大統領と首相による政治体制の違いについて、議論をした。これは面白かった。
大統領は共和制国家の元首のことである。フランスも共和制だが、国王や皇帝のように世襲で選ばれる君主制の反対、国民の中から一定期間選ばれる元首が共和制を率いる。
主に直接選挙で選ばれ、非常に強い権限を持っている。
なので、非常時などの行政運営の速度が速い。欠点としては議会との対立が深刻化しやすいところだろうか。
日本のような国家元首がいる国では首相が議会によって選出されるので、議会との対立(もちろんあるけど)は大統領制ほどではない。その反面、行政運営の速度も緩やかだ。
ただ、大統領制というのは独裁的になりやすい危険性を持っている。独裁者だらけだ、世界中を見回してみろ、とアドリアンは言った。



フランスは大統領制で、ぼくは在仏19年目に入ろうとしているので、シラク氏、サルコジ氏、オランド氏、マクロン氏まで4人の大統領を経験してきた。
大統領が変わるたびに、法律も一瞬でひっくり返る。
大統領は直接選挙だけど、首相に関して言えば国民が選ぶことは出来ない。フランスの場合、首相は主に内政を担当している。(アメリカには副大統領がいる)
最近、フランスの首相が変わったけど、新しい首相のカステックス氏はマクロン大統領がサルコジ元大統領と相談をして決めた、とされている。
ドイツやイタリアは大統領がいるけど、首相が政治をつかさどっている。そういう大統領制もある。

「トランプもバイデンも70代で、お爺ちゃんたちが元気なのはいいことだけど、世界に影響が大きいので、大統領選挙はとっても気になるね。ところで、ツジは、誰がアメリカの大統領になると思う?」
「アメリカは最終的にトランプ氏を選ぶ気がするなぁ」
ぼくがそう告げると、ハハッーと唸り、アドリアンは笑みを拵えた。
「バイデンがリードしているのに? それはなんで?」
「アメリカを動かしている勢力には二種類あるような気がする。カウボーイの流れを汲む勇ましい連中とどこか正義感の強いインテリな連中、常にこのバランスを保ってアメリカっていう国は民主主義を維持してきた気がする。でも、中国が台頭してきたことで、危機意識が強くなり、カウボーイズムが再び押してきている。今はバイデンさんが大きくリードしているけど、10月中に、なんかどんでん返しがあるような気もする。アメリカの良心を信じたいけど、この良心も日本やフランスとは異なるからね。アメリカのテキサスを旅したことがあるんだけど、アメリカ人って本当にいろんな顔を持ってる。トランプ大統領は国を敢えて分断させて勝負に出る気がする」
「俺はそうならないことを願っているけど、仮にバイデンが勝った場合、アメリカの転落は相当凄いことになり、その巻き添えを日本は真っ先に食らうな」
「そうかな。それは嫌だな。で、フランスが漁夫の利を掴むってわけか?」
ぼくらは笑いを堪えた。あまり愉快な未来ではなかった。
「そこで、菅さんが、この米中の間で、どういうかじ取りをするのか、世界にとってとっても重要になる。菅さんの評価はその時に大きく動くのじゃないか」

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