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滞仏日記「ついに引っ越しが始まる、の巻」 Posted on 2020/09/24 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくら父子はこの一年間、実は、ずっとびくびくして暮らしてきた。
漏電の疑いがあり、何かに触れた瞬間感電死をするのじゃないか、と思ってきた。
水漏れが続いたので、いつまでも壁が湿っていて、子供部屋と玄関の間の壁などはいまだ80%以上の湿度なのである。
天井の一部が落下し、やってきた大家は、そーりーそーりー、と謝罪し続け、配管工の技術者に至っては、大惨事、と言い残して帰って行った。
「ムッシュ、わしは40年配管工をやってますが、このような酷い状態のアパルトマンなんて見たことありません。気を付けてくだせー、危険過ぎる」



この日記に何度も書いてきた通り、我がアパルトマンはこの一年間で5カ所の水漏れ、それにまつわる漏電があり、しかも、一年経っても改修工事の目途さえたたない(湿度が安定するまで出来ない)という状況が続いて(5か所の壁を全て元通りにするのにさらに1年以上はかかるという結論で)、息子の受験を再来年に控え、父ちゃんはさすがに看過できないなぁと思っていた矢先、少し前のことだけど、息子と晩ご飯を食べていたらまたまた電気が消えかかったり点いたりを繰り返し、その後、すーっと停電になって、さすがに堪忍袋の緒が切れた。

ただ、田舎に終の棲家を探してる時期でもあるし、引っ越すのも落ち着かないし、どうしたものかと悩んでいたら、懐かしい友人から連絡があり、仕事で2年ほどパリに戻れなくなった、と言うではないか。
ぼくが水漏れが酷くて、と打ち明けたら、今すぐ戻る目途が経たないので、もし、よければ家具付きのまま住んで貰えないか、と提案されてしまった。
2年経ったら戻りたいから、貸したくても貸せない。家具などは思い入れがあり、動かしたくない。知らない人に寝泊まりしてほしくないので、エアーB&Bなどで一般貸しすることも出来ない。知ってる人間、信用できる家族に住んでもらいたい、というのである。
しかも、パリ中心部の、文化的な地域。カフェやレストランも多く、ちょっと賑やかな地区だけど、息子も今より学校に通いやすくなる。
願ったりかなったりの物件なのだった。



その話を受けて、大家と話し合い、友だちの家賃分を彼が持つということで妥協してくれた。ぼくが毎月払っている家賃の三分の一が新しい住居に流れる形である。
なので、これまでの住居はオフィスみたいにして、仕事の時にだけ使う。
漏電による感電死などを気にしないで生活が出来る。
5か所の水漏れが完全に直るまでに一年以上かかるわけで、まあ、フランスはだいたい工期が伸びるのが当たり前なので、二年先とみていいだろう。ちょうどいい。
その頃はすでに新しい生活地を見つけているかもしれない。その時はその時だ。とりあえず、息子が大学に入るまでの間をしのげればいいのだから。



友人のパトリックがシトロエンのワゴン車を持っていたので、手伝ってもらい、午前中、第一回目の引っ越しをやった。
仕事道具の一部、とりあえず冬物の衣服、生活用品、あとは息子の学校関係の道具、彼の音楽機材などを運んだ。
フライパンとか食器とかは新しいアパルトマンにもあるので、一部だけ移動させた。
往復二回でだいたい運ぶことが出来た。かなり疲れたけど(ちょっと手首を痛めてしまった)、感電死するよりはましだった。
残りはゆっくり、今週末に、息子とうちの小型車で何往復かすればいい。
今住んでいる区の隣なので、歩こうと思えば歩くことも出来る距離である。
新しい建物にはエレベータが付いているので、荷物の出し入れも簡単だし、駐車場も完備している。
二つの小さな寝室とやはり狭いサロンが一つしかないけれど、仕事は会社に通うみたいに元のアパルトマンに通えばいいので、不自由はないし、気分転換にもなる。
カルチエ(ご近所さん)の顔見知りたちには引っ越したとは言わないことにした。



夕方、元のアパルトマンに息子を迎えに行き、残りの荷物をトランクにつめて、新しいアパルトマンへと向かった。
これまで住んでいた部屋の三分の一くらいの広さなのだけど、新しい建物なので、おしゃれなホテルに泊まってるような爽やかな気分になった。
「パパ、水漏れや漏電にびくびくしないでいいから、いいね」
「小さなテラスもあるし、仮住まいとしては最高だね」
ぼくたちそれぞれの巣作りをはじめた。
サロンにある友人の机は、息子に使わせることにした。
彼は受験があるので、ちゃんとした勉強机が必要だった。ぼくは自分のベッドの脇に、小さなパソコンの机を置いた。新しいベッドにごろんと転がり、天井を見上げた。
人生というのはまさにどう転がるかわからないものである。でも、楽しむしかない。
住み慣れた街から離れるのはちょっと寂しいけれど、新しい街に新しい仲間が出来るのはとっても嬉しいことである。どんな連中と出会えるだろう。



明日の朝、息子を学校に送り出した後、ぼくはさっそく、新しい街を散策してみようと思っている。
実はこの地区は、2001年にぼくがパリ生活を決めた時、最初に暮らした地区でもある。近くに広い公園もあり、大学もあり、映画館もある。
画廊が犇めき、駅前にはカフェやレストランが林立する。
ジャズや文学の中心地だったので、若い頃には切実に憧れた場所でもあった。
パリで暮らして、来年で20年。節目の年にふさわしい移転かもしれない。
少なくとも、この日記に書くべきことが増える。それだけ人生に愉しみが増えるということなのだ。また、新しい生活がはじまる。 

滞仏日記「ついに引っ越しが始まる、の巻」

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