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自主隔離日記「自分を楽しくさせる天才になれば、苦しいことはない」 Posted on 2020/10/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昨日、頂いたカステラを隔離中に一人で食べきれないから何か違う食べ方に応用できないかと悩んで、結局、カステラは存在自体がいじれないくらい強いために父ちゃん諦めました、と日記に記した件、夕方、宿のベランダから空を見上げていたら応用法がふっと閃いたのだ。
思いつくというが、まさに、思いは付く、のである。

自主隔離日記「自分を楽しくさせる天才になれば、苦しいことはない」



ぼくはすぐさま、キッチンに行き、準備に入った。
要はカステラが応用に難しいのはカステラ内における砂糖と卵の比率が高く、特に卵の強い存在感は応用料理に向かず、いわば、カステラはすでにカステラとしての高い完成度を持っているということが分かった。
それを壊すは難しいのでその特性を生かす方が早い。
例えば明太子は存在感が強いがパスタと和えることで明太子パスタという飛躍的な傑作料理に変化する。
カステラにこれが出来ないか、と最初考えていた。
しかし、多分、卵の黄身の濃さと臭さ、というか個性が強く、これを生かすためには生クリーム系を利用して、たとえばショートケーキとかにする方が、カステラ本来の良さに新たな魅力が加わることにはなるはずなのだが、これは、ぼくが目指す劇的な変貌からは程遠い。
これでは元祖のカステラのままの方が美味しいに決まっているし、ぼくはそこを目指したいわけではない。

それで思いついたのはイタリアの中部の郷土料理であるブルスケッタのような方法だ。
あれもパンをオーブンで焼くという劇的な工程を踏まえることで、あの見事な傑作軽食を生み出すことに成功している。
ローマ地方の方言に「ブルスカーレ」という言葉があり、これがブルスケッタの語源なのだが、炭火で炙る、という意味だ。
まさに、ぼくはカステラをブルスカーレすることにした。
まずはオーブンを予め、220度の高温で温める。
180度でもいいのだけど、劇的な変化があった方がカステラの風味を封じ込められると踏んだ。
(これはのちに正しい判断だったことがわかる)



まな板の上にカットされた通常サイズのカステラを一つ置き、それを薄く二層に切り分ける。
刃先の鋭い包丁じゃないと、出来ない。
カステラは柔らかいので、力を入れるときれいなカット面を作れないので、煙を切るような繊細さで包丁を入れる技術が必要となる。

自主隔離日記「自分を楽しくさせる天才になれば、苦しいことはない」

美しい。
美味しいものというのはそもそも、カット面だけを見て十分にそのおいしさが伝わってくるものだ。
カステラを作った職人を冒涜しないような丁寧な作業を心掛けた。
さらにそれを6等分する。
まず中央で半分にし、残りを三等分するときれいな長方形がまな板の上に並ぶという具合。実に美しいフォルムである。
オーブン皿に並べるが、注意点としてはくっつかないようにそれぞれの間に十分なソーシャルディスタンスをとってあげること。
オーブンの中に入れて、様子を見る。

自主隔離日記「自分を楽しくさせる天才になれば、苦しいことはない」

自主隔離日記「自分を楽しくさせる天才になれば、苦しいことはない」



火力が強いので5分から10分と見込んだけれど、目視をしながら焼き加減をチェックするのがいい。
オーブンにいれて30秒もしないうちにキッチンはカステラの物凄く香ばしい香りに満たされる。
ぼくはここで、自信を深めた。勝利が見えた。
人生というものは、こういう小さな幸福を見つけられるか否か、で変わる。
幸せなんてものは、思い込んだものの勝ち、程度の差でしかない。百年後、ぼくの周りのものはたいていがこの世にはいないのだから…。
ぼくはその時、十分に、幸福であった。

自主隔離日記「自分を楽しくさせる天才になれば、苦しいことはない」

焦げすぎてはいけないけれど、焦げないとダメだ、と思っていた。
だから、焼き時間がとっても大切になる。
カステラの風味を封じ込めるために表面をカリカリに焼く。
そして、旨味、甘味、香ばしさを中に封じ込めるのだ。
ブルスケッタといったが、この辺になるとラスクに近づいてくる。
ええい、うるさい。そんなことはどうでもいい。
ぼくが創作しているこの料理は誰もかつてやったことのない傑作軽食と評され、ぼくが死んだ後も、「大人のためのカリカリカステラ」君は残り続けることになるのだから。
なんたる、幸せ。ナンタルチャーノ!



人間の命など儚いものだ。
でも、こうやってぼくが想像をした「大人のためのカリカリカステラ」は時空を超えて、カステラのもう一つの食べ方として現世に定着することになるかもしれない。
或いは、海を渡り、カステラの故郷、ポルトガルに里帰りすることになるかもしれない。
或いは、もう面倒くさいので、ぼくがじかにリスボンに持って行って路上で配ったっていい。
ポルトガル人は足を止め、その香ばしく、しょっぱく甘く、酸っぱく辛い「大人のためのカリカリカステラ」を絶賛するに違いない。
デリッチョーゾ~!

自主隔離日記「自分を楽しくさせる天才になれば、苦しいことはない」

いい具合の焦げ具合になったら取り出し、皿に自由に盛り付け、フラー・ド・セル(塩の華)、スプレッド・ピモンテ(一味とか七味でよい。ゆず七味なんかもいいかもしれない)、をたっぱりとふりかけ、最後にオリーブの輪切りを散らす。
カリカリのカステラはラスクの百倍エレガントでブルスケッタの千倍香り高い。
岩塩の塩気がカステラの卵感、砂糖感と拮抗してお菓子とも軽食とも言えない領域へと昇華させる。
スパイスはピモンテ(唐辛子)だ。

しかし、決定的に大事なのはオリーブの輪切りであろう。
カステラとオリーブの輪切りを一緒に口に入れた瞬間、その瞬間、岩塩の塩分の破壊力と唐辛子の垂直にそそり立つエネルギーのうねりが物凄い興奮を舌先に叩きつけてくるに違いない。
甘いのに辛くてしょっぱくて酸っぱい。
ぼくは頂いた黒ビールがあったことを思い出し、慌てて冷蔵庫から取り出した。
黒ビールとのマリアージュは完璧であろう。
ここにアイリッシュの血筋が交差するという寸法である。

自主隔離日記「自分を楽しくさせる天才になれば、苦しいことはない」

ぼくはベランダにこれらを持って出た。
ちょうど、夕陽が東京の西の空に沈まんとしていた。カリカリカステラをオリーブと口に入れた時の触感、完全な風味、そして舌先を揺さぶる今まで味わったことのない幸福感に包まれた。
その時、ぼくは欧州最西端、ポルトガルのロカ岬に立った時の記憶が脳裏を揺さぶり、思わず、ヒャッホー、と叫んでしまった。
荒波に乗り出し、日本を目指した勇敢なポルトガル人たちがその時、脳裏を掠めたのである。
ポルトガルの詩人、ルイス・デ・カモンイスの叙事詩の一節
「ここに地終わり海始まる(Onde a terra se acaba e o mar começa)」
という美しい言葉と共に…。



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