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滞仏日記「サマータイムの時差の中で欧州の未来を考える」 Posted on 2019/04/01 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、フランスは冬時間から夏時間に変わった。いわゆるサマータイムである。必ず夏時間や冬時間に変わる時は日曜日なのだ。平日にいきなり変わると混乱するからじゃないか、と推測する。でも、今日、昼ご飯を11時半に作ってしまい、「すまん、一時間早くご飯作ってもうたわ」と息子に謝ったら、「夏時間に変わったからもう12時半だよ」と言われて、電子レンジの時計が冬時間のままであることに気が付いた。得したのか損したのか分からないサマータイムのスタートとなった。サマータイムの初日は、1時間、失う感じになる。通常、息子は7時に起きなければならない。サマータイムになるということは冬時間の6時に起きることになるので、なんとなく1時間損した感じになる。逆に、冬時間に戻る時は1時間のんびりできるので得した気分になる。とはいえ、混乱するのは朝だけ。なんでサマータイム制が導入されているのかというと、フランスの冬は夜が極端に短く、夏は極端に長いからだ。夏は23時くらいまで空が明るい。朝は4時くらいからなんとなく明るい。だからフランスの子供は夏の間、夜を知らずに過ごす。日本がサマータイム導入を検討しているというニュースを聞いて、僕には日本政府の意図が分からなかった。

サマータイムが始まった初日に相応しく、今日のパリは快晴だった。午前中、僕はいつものように走った。走りながら新しい小説の主人公の背景を想像したりしている。物事を考察するのにこのランニングは適している。人生を振り返ったり、未来を想像したり、走っている間は迷いが起こらないので考え事に丁度いい。リュクサンブール公園を一周してから、ベンチに座り青い空を眺めた。しかし、いい意味でも悪い意味でも、いつも見上げている空とはちょっと異なって見えた。僕は2000年にここパリで一時期を過ごしている。移住を考えた上で、この街にやって来た。アパルトマンを探し不動産屋巡りをしたり、生活するための下準備のために。その時、僕はこのリュクサンブール公園のすぐ近くで暮らした。ちょうど、フランからユーロに変わった年であった。ただでさえ計算の苦手なフランス人がパニックになりながらレジでお金の計算をしている姿が忘れられない。今思えば、凄い経験であった。スーパーには長い行列が出来ていた。セーヌ河畔のポンヌフなどの橋の壁に€のマークが映し出されていた。欧州がユーロによって一つになった瞬間だった。(当時、1ユーロは100円だった。数年後、180円近くにまで上昇した。現在は125円前後で推移している)つまり、僕は€の成長と同じ時間をここで過ごしていることになる。ユーロが無くなることはないとは思うけれど、各国の思惑はばらばらになって来たように思う。一枚岩だったEUが脆くなりはじめている。

イギリスのEU離脱は4月12日以降に持ち越されたが、正直、イギリスがどこへ向かっているのか、当事者も含め、誰も分からない混沌が続いている。どんどん意味の分からない方向へ突き進んでいる状態で、いったいあの国民投票が何だったのか、思い出せない有様である。移民問題から端を発したEU離脱が、移民問題どころではなくなってしまった。合意無きEU離脱だと大変なことになると今頃になって騒いでいるけれど、そんなことも想像できないで離脱を決めたのか、と議論のない行き当たりばったりな国民投票に呆れてしまう。しかも、合意した場合のその合意はEUとの合意であって、離脱のための合意案ということ自体が矛盾している。離脱を国民投票で決めた強気はどこへ行ったのか。離脱だけ勝手に決めて、大変なことになるからなんとかしてくれと泣きついているのに、EUとの合意はことごとく否決する英国の議会というのは、単なる駄々っ子にしか見えない。もう一度国民投票をという意見もあるようで、意味が分からない。民主主義の限界を感じて虚しささえ覚える。かつて日本が憧れ模倣した議会政治の結末がこれでは心配しか起きない。一昨日のロンドンでの大規模なデモに黄色いベストを着た人たちが混じっていたという象徴的なニュースを見て、いよいよ欧州は本格的に黄色信号が灯りだしたな、と思った。この黄色が欧州を静かに包み込んで、淡く暗い不安へと落としていくのか・・・。僕はそれを振り払うようにして、全速力で家路を目指した。
 

滞仏日記「サマータイムの時差の中で欧州の未来を考える」