JINSEI STORIES

滞仏日記「僕が息子を残して旅発つ時」 Posted on 2019/04/07 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、息子はガールフレンドの家に招かれた。彼女のご両親に、アスレチックに連れて行ってもらったり、お庭でバーベキューバースデイパーティ(ガールフレンド君の誕生日なのだ!)をやったり、招かれたのは彼一人だったのだけど、彼女のお父さんやお母さんや姉妹が家族同然に接してくれたことが何より嬉しかったようで、「パパ、今までの人生の中で一番楽しい日だった」と連絡があった。総じて、彼は愛されていると思う。フランス人の中で生きる日本人だが、露骨な差別を受けることもなく、のびのび成長している。僕の手を離れ、最近はあちこちの家族と過ごすようになった。僕は今日から10日ほど日本に行くことになっているが、パリの彼の友人のご家族が3日ずつ交代で預かって面倒を見てくれる。前はまず僕から「預かってもらえますか?」とお願いをしていたが、最近は息子自ら泊まる家と交渉をしている。それほど彼はフランスの人たちに受け入れられているということもできる。

空港のロビーから僕は明日以降の息子の宿泊家族のお母さんやお父さんたちに電話やメールを入れた。
「ボンジュール、サンドリンヌ」
「サリュ、ツジ」
「今、空港に着いたんだよ。まもなく搭乗するけど、明日からまた息子を宜しく。模擬試験も終わったばかりだし、特に大きなイベントもないけど、何かあれば連絡もらえたら助かる」最初に電話をしたのは息子のクラスメイトのお母さん。実はなりたてのシングルマザーなのだ。
「離婚したばっかりで大変なのに、ごめんね。あいつ、君んちに泊まりたいっていうからさ」
ご夫婦は離婚したばかりだけど、お父さんは同じ建物内に住んでいて、僕は彼とも仲良し。新聞記者だけど、昔はベーシストだった。
「もちろんよ。明日はクリストフも夜来て、4人でご飯にする。実は3日目の夜、私、夜会があって、あの子たちクリストフの家に泊まることになったの」
「そうなんだ。じゃあクリストフにも連絡しなきゃ。でも、男三人も楽しそうだね」
「あのね、3人じゃなくて、5人なのよ」
どうもクリストフは再婚するみたいですでに新しい彼女と暮らしていて、その人には連れ子の男の子がいるのだとか。うちの子はすでにその坊やとも顔見知りなのだとか。離婚大国のフランスはシングルマザーとシングルファザーがそれぞれの子供も一緒に家族を作るケースが多い。こういうのを複合家族と呼んでいる。
「とにかく、心配しないで、いつものように」
「わかった。じゃあ、行ってくる。何か日本のものでほしいものがあったら買って帰るから、遠慮なくメールでください」
「ほしいものがある。ほら、前に買ってきてくれた鱈の赤い卵」
「ああ、明太子! OK、お安い御用だよ」
「アビアント、ツジ」
「チャオ、サンドリンヌ」
僕は電話を切って、ゲートに向かった。いったいこれまでに日本とフランスを何往復しただろう。毎年、4,5回は日本に行く、それを17年も続けてきた。ゲートで働く人とも顔馴染みで、声をかけられるようになった。桜に間に合えばいいなぁ、と思いながら、僕はパスポートを取り出した。
 

滞仏日記「僕が息子を残して旅発つ時」