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滞仏日記「紆余曲折の末に人は人生を切り開く」 Posted on 2019/04/15 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、新潟から博多入りしたのは映画「真夜中の子供」のメインロケハンのためだ。今日は朝から博多市内各所でロケハンをやった。このプロジェクトは2年前からスタートしているが、様々な種類の横殴りの風を何度もくらいながら、それでも前進を続け、じわじわとクランクインへと近づきつつある。もっともインドネシアと日本との合作プロジェクトだけに、国や宗教が違うので一筋縄ではいかなかった。でも、今のところ2か月後の6月末にカメラが回り始まるところまで漕ぎつけることができた。本当に紆余曲折の連続であった。日記に書けないことばかりだったが、どうにか乗り越えてきた。スタッフにさえ言えない悩みや問題を日々一つ一つ解決してきた。何度か、この作品は映画化できるのだろうか、こんなに大変で大丈夫か、と思ったこともある。不安だったけど、自分を鼓舞し、とにかく今やるべきことをきちんとこなして進もうと決意を続けた。

そんな僕を励ましてきたのは黒江圭太という若い一人のプロデューサーだ。まだ若いので、彼の大変は僕の何倍も大きかったのじゃなかろうか。この男、面白いことにいつも「大丈夫です。なんとかしますから」と言って、実際に、この2年間、厳しい場面でも必ず問題を掌握してきた。本当にそんなことできるのか、と思うようなことを数か月後必ず掌握してみせる。たとえば、インドネシアとの合作話は当初なかった。原作にもない。企画が持ち上がった当初のある日、「映画を成功させたいけど、インディーズだから日本だけでは利益が出ない。経済が急成長するインドネシアでの公開を目指したい」といいだした。インドネシアには2億4千万人もの人口があるが娯楽が映画しかない。彼らはみんな映画館に映画を見に行くのが好きだ、と言い出した。一人有名な俳優を見つけたのでコンタクトを取り始めている、と。インドネシアで一番人気の男性俳優、レザ・ラハディアンであった。黒江圭太は向こう見ずにもこの映画のためにインドネシアに制作会社まで作ってしまった。そして、次々に交渉を始めた。黒江さんの情熱にほだされて僕はインドネシアに飛び、向こうの映画界の人々を前にこの作品について語ったことさえある。まだ映画のシナリオは出来てない。原作にはインドネシア人が出る場面もない。井島という重要な役があり、それをやらせたいと黒江は言った。脚本家の岡田恵和氏と相談し、ユドヨノという名のインドネシア人の役を新たに書き足すことにした。

灼熱の太陽、人口三千万のジャカルタ市内のエネルギーは東京の比ではない。高層ビルだらけで、東南アジアが今急成長しているのがよくわかる。映画館はどこも大きく、人で溢れている。レザが出演する映画は一つの映画館に連日一万人もの人を集める人気ぶりだ。映画館の前で僕の次の作品がここで公開されるのだ、と実感なく見つめたのは2年も前のことだった。シナリオは何回も何回も改訂版が書き直され、岡田さんとのやりとりは続いた。スタッフも二転三転しながらだが、でも、最高のメンバーが集まって来た。もめ事もいろいろと起きた。やめた人も出た。その都度、僕と黒江さんは電話でやりとりをしなければならなかった。それはジャカルタ、パリ、福岡、東京の間で何度も朝だろうと深夜だろうと繰り返された。ところが「大丈夫です。なんとかなります」と黒江圭太は必ず最後に言うのだ。実際、彼はあらゆる問題を解決してきた。素晴らしい台本が完成をすると、インドネシアや日本の俳優が次々決定しはじめてきた。その裏で彼は資金集めを日本とインドネシアの双方で地道に続けてきた。
 

滞仏日記「紆余曲折の末に人は人生を切り開く」

 
今日、最後のメインロケハンがいよいいよスタートした。制作部、撮影照明部、美術装飾部、演出部、総勢12人での最終ロケハンである。中州の撮影候補地を見回りながら、僕は心の中で「よくここまでたどり着いたものだ」と思った。岡田恵和が書いた脚本のおかげもあるだろう。でも、この黒江という男の力は大きい。彼は必ず「いや、大丈夫です。なんとかなります」というのだ。「必ずなんとかします」その力強い言葉に勝る励ましはない。

黒江圭太は毎月インドネシアへ飛んで、向こうの芸能界や経済界、或いは映画界、配給会社などと交渉を続けた。気が付けば彼はインドネシア語を流暢に喋るようになっていた。向こうに家も借りている。その本気度が凄い。もちろん、本業もあるので普通の人の何倍も働いている。しかし、次から次に大手と交渉を成立させ、ついには、200館ほどでの映画公開の目途までつけて戻って来た。「インドネシアの人はきっと福岡に大勢くるようになるでしょう。彼らはこの映画でたくさん涙を流すことでしょう」と言った。まだ若いのにちゃらちゃらしたところを一度も見たことがないし、弱音というものをこの一度も吐いたことがない。苦しそうな時期は何度かあったけど、昨日のロケハンではスタッフらに囲まれて久しぶりに笑顔だった。9才の女の子が一人いる。ロケハンの途中、車の中で、珍しく娘さんのことを話した。いい話だった。

何もない平凡な人生というものはないし、それじゃつまらない。夢や希望が大きければ大きいほどそこまでの道のりは紆余曲折する。そういう道をこそ通過できればそこへ辿り着くことが出来るのだが、人は道があまりに紆余曲折しているせいで諦めてしまう。むしろ僕らの人生はこの紆余曲折を通過することでこそ強く引き締まり輝くのだと思う。このまま僕ら辻組のスタッフは映画撮影に突入することになる。紆余曲折の末に、だ。もうあと一歩。感動の一作にしてみせたいと思う。

「大丈夫、必ずなんとかします」
 

滞仏日記「紆余曲折の末に人は人生を切り開く」