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滞仏日記「ノートルダム大聖堂に寄り添うコンサート」 Posted on 2019/04/20 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、今日、ボンマルシェにほど近いカフェで、ノートルダム寺院の大火災に対して、在仏の僕らがライブをやり幾ばくかでも募金を集めフランスの人々に寄り添うべきだろうという主旨のミーティングが持たれた。パリ在住のイベンターの伊東さんがこのライブを主導してくださることになった。その場に来れなかったクレモンティーヌの事務所を運営する河井さんとはラインで相談し、制作を快諾してもらった。先の東日本大震災に対して2011年3月13日にはノートルダム大聖堂でフランス人が祈りを捧げてくれた。その時、たくさんのフランス人たちが集まって来て、日本に対して優しい心を配ってくれた。今回の大火災は、幸いなことに死者も出なかったけれど、でも、象徴的な鐘楼が崩れ落ち、多くのフランス人たちの心をテロに負けないくらい強く傷つけた。僕らは日本を愛するフランスの人たちの心に寄り添うべきだ。寄付よりもアクションだ。たまたま、僕のパリライブの話が進んでいたので、伊東さんがその日にやるのが一番早いのじゃないか、と言い出した。一同が、それはいい、ということでまとまった。

10月の還暦コンサートまでを一つの区切りにして、募金活動をやったらどうだろうと思った。そうすれば日本でも募金や想いを集めることが出来る。20年近く僕はここパリで生きてきた。今は息子と二人で頑張っている。その息子を支えてくれたのは血のつながりもないフランス人たちだった。世話になった人たちが苦しんでいる時にこそ、関わりを持つ人間が何か行動を起こすべきだ。パリだけじゃなく、東京でもやらなきゃいけない、と思った。同じ思いの日本人もたくさんいるはずだ。正直、寄付金はフランス人の資産家が百億、二百億と、競うようにして募金合戦を繰り広げており(それがこちらではちょっと問題にもなっている)、なので、僕らはお金より想いだろうということになった。せめて世界中の人が悲しんでいることをフランス人に届け、寄り添うためのライブをやれれば・・・。2011年、ECHOESが再結集をして福島でライブをやったことを思いだした。ECHOESは東北に多くのファンを持っていたから、いてもたってもいられなくなったのだ。その時の気持ちにも繋がった。

実現できるか、まだわからない。そういう主旨に沿ったチラシを作って、パリ市内に配布しなければ、と誰かが言った。寄り添いたいという思いを満足させるための行動かもしれない、と自分を窘める瞬間もあった。でも、行動が大事だともう一人の僕がそれを強く否定した。フランスに今こそ寄り添わなきゃと思うことにうしろめたさを感じるのは間違いじゃないか。寄り添いたいという気持ちがなくなったらこの世界は生きづらくなる。テロが繰り返される喧しい時代だからこそ、連帯が必要なのだ。何が実現できるかわからないけど、これを日記に記すことで、あとに下がれない状態をまず作る。パリ在住のもっと多くの仲間たちに参加を呼びかけよう、と言い合い僕らは席を立った。実現できるかまだまだ分からないけれど、でも、その瞬間から、このイベントへ向けて僕らは動き始めることとなった。
 

滞仏日記「ノートルダム大聖堂に寄り添うコンサート」