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滞仏日記「美術館で僕は人間を鑑賞する」 Posted on 2019/05/12 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、飲み仲間のエルベが「モスクワのプーシキン美術館のコレクション見たか? まだなら、行くべきだ。あれはエクセレントだ」というので最終日前日だったが、しかも大雨にも拘らず飛び込みで見に行って来た。素晴らしかった。いつこういう情報が飛び込んでくるかわからないけれど、絵の好きな仲間たちばかりだから回ってくる情報に間違いはない。
 

滞仏日記「美術館で僕は人間を鑑賞する」

Paul Signac, Pablo Picasso, Juan Gris, Fernand Leger, Gabriel Fournier, Vincent van Gogh, Mikhil Vroubelなどなど、ここに列記できない物凄い作家たちの、しかもかなり良質な作品ばかりが集められていた。とくにHenri Matisseの充実ぶりが目と心を惹いた。Portrait de Lydia Delectorskayaのモノクロームな妖艶さは素晴らしく、そこから暫く動けなくなった。
 

滞仏日記「美術館で僕は人間を鑑賞する」

しかし、僕が美術館好きなのはこういう画家たちの素晴らしい作品に出会えるからだけではない。美術館の空気というか、佇まいというか、距離感というか、そこに集まった人たちも含め、居心地がいいところが好きだ。個人的にはマイヨール美術館が好きだけど、今回のようなどこかの財団が年に何回か開く特別感の高いエクスポジションも悪くない。ルーブルは広すぎて滅多に行かないけれど、大きな美術館だとオルセーがやはり好きだ。オルセー美術館に関しては大昔、世界文化社から一冊ガイド的な本を出したことがあるので(館長との対談など、盛りだくさん)そこに譲るけど、若い頃はピカソ美術館の配置や照明の色味、壁の色合いなどにハマって通い詰めた。オルセーの館長も照明器具のポジションに一番神経を使うと語っていた。

もう一方で僕は美術館に集まる人を眺めに行く趣味もある。そして、フランスの美術館にはとんでもなくラブリーな人たちがいつも集まっている。撮影の許可を頂いて、僕はそういう人たちの写真を何枚か撮影した。その向こう側に世界的な絵があるのだけど、この人たち、負けてない。なんと台の上に立って、Peter Paul Rubensの作品を模写している女性がいた。これはかつて一度も見たことがない凄まじい光景で、横に守衛さんがいるのだけど、お構いなし。つまり許可されているということなのだろう。
 

滞仏日記「美術館で僕は人間を鑑賞する」

僕は恐る恐る近づき、
「マダム」
と声をかけた。最初は聞こえなかったのか、或いは無視をされたようだが、気にしない。
「素晴らしい模写ですね。写真撮影をしてもいいでしょうか?」
するとマダムが僕を一瞥し、鼻で笑うと、いいわよ、とまんざらでもない感じで答えた。僕が撮影をすると、周囲の人たちが集まって来て、みんな静かな笑顔を浮かべた。
「マダム、素晴らしい写真が撮れました。サイトにアップさせて頂きますね。僕は辻と言います。辻です。日本の辻・・・」
マダムは僕を一瞥し、どうぞご自由に、という顔をした。その横顔が微笑んでいるのが素敵だった。一番大きなホールの一番目立つ場所で、腕を伸ばし、筆を立てて、距離感を図りながら緻密に描いている。さらに近づいて覗くとびっくりするくらいに精巧な模写で、ひっくり返るほど驚いてしまった。すごい、あなたこそ画伯だ!!
 

滞仏日記「美術館で僕は人間を鑑賞する」

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滞仏日記「美術館で僕は人間を鑑賞する」

モスクワのプーシキン美術館のコレクション、本当に素晴らしかった。もちろん、カタログの画集を一冊買った。帰りがけに受付の人に、他と比較できないほど素晴らしいエクスポジションでした、来てよかった、とお礼を言ってから外に出た。雨はすでに上がっており、遠くの空は晴れていた。
  

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