JINSEI STORIES

滞仏日記「空港の出口で母が僕を待っていた」 Posted on 2019/05/18 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、母親と会った。パリからたくさん土産物を抱えて博多まで会いに行った。弟と空港まで迎えに来てくれていた。待ち合わせロビーに出ると、母さんが笑顔で待っていた。6月で84才になるのだけれど、大きな手術を10年前に受けているにも拘らず、足取りは軽やかで、なんだろう、ますます若返っているように見える。
「元気そうですね」
開口一番告げると、
「それがね、おかげさまで、ますます元気になってからね、こまっとうとよ」
「それが何よりですよ。はい、お土産」
僕がパリで選んで持って来たお菓子やフランス食材の詰まった袋を渡すと、あら、まぁ、といつもの言葉がとびだし、それを大事そうに抱えた。弟が僕のトランクを掴んで、車はあっち、と言って歩き出した。

父が死んですでに13年が過ぎた。4人家族だった僕らは3人になったが、なんだかんだとこの辻家を維持してきた。弟は今、僕の仕事を手伝っている。さしあたって、映画「真夜中の子供」の広報宣伝周りの仕事である。独身なので、母さんの傍にいてもらえるので僕からすると有難い存在でもある。僕は滅多に博多には戻れないので、弟が親戚や知人や九州の仕事関係を結んでいる。25年ほど前は僕のマネージャーをやっていたので、業界のことも多少心得ている。辻家の番頭さんみたいな存在だ。弟の運転する車で定宿に向かった。道すがらの話題はもっぱら孫(つまり息子君)のことである。恋人が出来たことや、バレーボールのパリ大会で優勝したことや、成績がよくフランス語では100点をとってきたりするよ、と実はもう何度も話してあることだけれど、改めて言葉にして母に教えてあげることは大事なことで、母さんはすぐにハンカチを取り出し、まあ、ほんなこつね、立派になったっちゃろね、と頷いている。いつものパターンなのだけど、弟は笑いながら運転している。僕はこの家族水入らずの時間が嫌いじゃない。そして、そういう時に限って、ここにいない父親のことを思い出す。家族というのはそういうものだ。繰り返し繰り返し、思い出すこと。

友達というものは自分で選んだり、相手が選んだりして関係が生まれる後天的なグループだけれど、肉親、家族というのは自らの意志で選ぶことは基本難しい。たとえば、令和のこの年に生まれることを自分の意志で選択して出てくる赤ん坊がいないのと一緒で、家族だけは予め何ものかの意思で決められた先天的なグループなのである。生まれた時に予め用意されていた場所ということもできる。僕はそれが人間のもっとも運命的なはじまりだと思っている。不幸な運命もあるし興奮な運命もいろいろあるのだけれど、それらすべてをひっくるめて人間の意志ではどうすることもできないこと、だからこそ、その環境から始まった自分の一生を最初に背負うスタート地点ということができる。母も弟も息子も血がつながっていることで、死ぬまで家族であることは間違いない。そういう家族を大切にすることが成功や野心よりも尊いことを僕は今悟っている。
 

滞仏日記「空港の出口で母が僕を待っていた」