JINSEI STORIES

滞仏日記「旭川からマドリッドまでおばあちゃんの一人旅」 Posted on 2019/06/30 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、本当は息子と旅立つつもりだったが、試験の延期で息子を一人パリに残して僕は予定通りの便に乗った。
15才の息子はもうどこへでも一人で行くことが出来るようになった。まだ経験はないけれど、行こうと思えばアメリカでもどこでもたぶん一人旅が出来る。
自分が15才の時は出来なかったことだ。時代が違うのだな、と思う。
「あなた、ちょっと寒いの」
隣のおばあちゃんが、僕の肩をちょんちょんと叩いて、そう言った。
「ごめんね、私、大正生まれなのよ。だから、要領得なくて」
僕は頭の中で計算をした、大正時代は15年、そして今は令和である。百歳前後ということになる。
「私、95です」
おばあちゃんは笑顔で言った。



「まさか、お一人旅ですか?」
「ええ、マドリードに娘がいるので会いに。でも、毎年、行ってることだから、たいしたことじゃないのよ」
お茶を飲んでるフランス人の男性乗務員を見つけたので、僕は席を立ち、冷房がきついようですが、と伝えた。
男性はおばあちゃんを振り返った。
おばあちゃんがつぶらな目で男性に笑顔でお辞儀をした。
あの方、95才なんですよ、と僕がフランス語で言うと、分かった、と言い残して後方へと急いで向かった。
すぐに日本人のCAさんが飛んできて、毛布をおばあちゃんにかけた。機長から連絡があったので、走ってきました、とその人が慌てた顔で言った。
さっきの人は機長だったと知って僕とおばあちゃんは目を見合わせて一緒に驚いた。
「私は一人でマドリッドまで行き、旭川に戻るところなんですよ」
おばあちゃんは笑顔でCAさんに伝えた。この女性がとっても気の利く優しい子で、その後着陸までずっとおばあちゃんの面倒を見ることになった。



ご飯の時間になるとリュックからおばあちゃんはおにぎりを取り出し、一つをそのCAさんに握らせた。
いえ、大丈夫です、とCAさんは断ったが、おばあちゃんを悲しませてはいけないと思ったのか、「じゃあ、あとで頂きますね、ありがとうございます」と言った。
おばあちゃんはそんな風に周囲の人と目が合うと、自分の生きてきた歴史や、マドリードのことや娘のことを語って、自分の宇宙に引きずり込んでいた。
「あなたはどこに住んでるの?」
「パリです」
「だからフランス語が出来るのね。あなたのおかげで私は風邪をひかなくてすみました」
おばあちゃんの声は大きい。キャビンの半分くらいの人に聞こえるような声なのだけど、文句を言う人はいない。
誰もがそこに95歳のおばあちゃんがいることを知っていた。
「毎年、マドリードに行かれるの大変ですね」
「な~んも、大変じゃないよ。飛行機が連れてってくれるし、来年もまた来てねって孫に言われたんだよ。
行くつもりだよ。でも、ほら、来年、生きてるかな」
おばあちゃんはそう言うなり笑った。
おばあちゃんの向こう側に座っていた女性が、大丈夫ですよ、私たちよりも元気なんですから、と言った。
そちらのご夫婦は75才ということだった。
75才のご夫妻が子供のように見える、おばあちゃんの貫禄はすごかった。
おばあちゃんはよく眠っていた。時々、CAさんがやって来て、毛布を掛け直していた。

滞仏日記「旭川からマドリッドまでおばあちゃんの一人旅」



飛行機が羽田空港に到着すると周囲の日本人たちがおばあちゃんに笑みを向けていた。
するとおばあちゃんが行こうとする僕に手を差し出した。僕は急いでその手を握りしめた。
優しい、温かい手であった。
「私はね、車いすだから一番最後なんだよ。あなたは若いから真っ先に出る人なんだよ。人生は順番なんだ。最後にみんなで私を乗り換えまで連れて行ってくれるんだよ。ありがたいことだね。あなた、来年もまた機内で会いましょう」
 

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