JINSEI STORIES

滞仏日記「母さんが僕に教えてくれたこと」 Posted on 2019/07/04 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、もうすぐ博多入りするので、ふっと母さんのことを考えていたら、いろいろと思い出した。あの人は九州の女だからか、昔から負けない人だった。小さいけど、背筋を伸ばして、凛とした人だった。母さんが僕にガッツを教えてくれた。幼い頃の僕に母さんが何気なく言ったいくつかの言葉たちが、気が付けばいまだに僕を支えている。僕は弟を殴ったことがあった。小学生の頃だった。その時、じっと見ていた母さんが、一言、「気がすんだのか、それで」と言った。この言葉は僕をうしろめたくさせた。気が済むはずがないだろ、ということだった。それで、というのは、そんなこと、という意味だった。そんなことをして、お前は満足なのか、と僕には聞こえた。それから、母さんは僕に、「世界がこんなに広くても、お前には血が繋がった弟はたった一人しかいないのだ。世界に二人しかいない兄弟が喧嘩をしてどうする」と言った。その言葉はずっと僕の心の中に残った。

母さんは料理が得意だった。時間があればいつもキッチンに立っていた。今、思えば、僕が料理をするようになったのはこの母の後ろ姿を見て育ったからだ。「苦しくなったら、こうやってガンガン炒めて、ジャンジャン食べれば人間はふたたび元気になる。だから、人間はおなかがすくんだよ。おなかがすくのは生きろということだよ」と教えてくれた。だから僕は食べることや料理を粗末にできない。母さんが僕に教えてくれたことは「丁寧な料理」だった。昨今はやりの時短料理というのと正反対の姿勢だった。だしをきちんと煮干しでとって作った母さんの味噌汁を超える味噌汁に出会ったことがない。いつも流しに行くと、何かの料理の下準備がはじまっていた。そういうものが愛情だと思った。

6月16日で84歳になった母さんは、もちろん、とっても元気だが、やっぱり若い頃のガッツある母さんとは少し違っている。十年ほど前に頭の手術をしてから片方の目が見えなくなった。息子はおばあちゃんっ子で夏休みや冬休み、日本に来る(彼はフランス生まれなので、来る)と、忙しい僕のかわりに母さんの横に寄り添っている。だから、母さんの物まねがとっても上手だ。
「あら~、あらあら、ありがたいね」
僕が美味しいご飯を作ると、息子は母さんの真似をして僕を笑わせる。息子は昔のガッツある母さんのことを知らない。彼が知っているのは少し腰の曲がったおばあちゃんの母さんだけだ。でも、それでいい。僕にとっては怖い人で、優しい人で、ガッツのある九州の女なのだから。 
 

滞仏日記「母さんが僕に教えてくれたこと」