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退屈日記「息子と夕食の時間に語り合った世界にとって大事なこと」 Posted on 2021/09/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、夕方、明日のリハーサルに備えて、ギターの弦を替えた。
クラシックギターを使うようになってから、一番大変なのは、ビニール弦の交換であった。夕方、ほとんどの時間を弦の交換にあてることになった。
「めっちゃ、細かい作業だね」
息子がたまたま、通りすがりに、弦交換を覗き込んでいった。
「この細い弦を隣の少し太い弦の下に隠すのがパパのやり方で、結構、面倒くさいから、プロでもあまりやる人はいないんだよ」
「なんでやるの?」
「こうやると、はずれ難くくなる。それに、見た目、めっちゃ綺麗だろ?」
あはは、と息子が笑った。
今日はちょっと機嫌がいいみたいだ。

退屈日記「息子と夕食の時間に語り合った世界にとって大事なこと」



その流れで、夕食時に息子といろいろ話が弾んだ。
思春期・反抗期に入ってから、正直、会話は減った。
昔の方が、小学生とか中一の頃の方が、よく喋ってくれた。
特にこの頃は、会話が弾まなくなった。
だからと言って話をしないでいいわけがない。
息子は音楽づくりに熱中しているので、そこが会話のきっかけになる。唯一の入口である。
「最近、どんな曲作っているの、聞かせてよ」
彼は誰かに音を聞かせたがっている。
一応、ぼくは彼の大先輩にあたるので、思えば、唯一、彼がぼくのことを認めてくれているのが、音楽での経験のようだ。(ちなみに、息子君はぼくのCity Lightという昔の曲が気に入っている)
息子の音楽を聞き、真剣にアドバイスをしてから、(少し専門的な意見を、押し付けるのではなく、投げかけることが大事だ)そこから、最近どうなの? と話題を向ける。これが自然な親子のコミュニケーションの入口となる。
音楽談義のおかげで、和んでいるので彼も話しをしやすい。一緒に夕食をとりながら、今日は普段より、いろいろなことについて話し合った。
その時間を僕は何よりも大事にしている。

退屈日記「息子と夕食の時間に語り合った世界にとって大事なこと」



彼の友人の一人、W君が「もう、どんなに頑張ってもこの世界には未来がない。環境破壊が続くのでそう遠くない時代にこの星は滅びる。ならばなんでこんなに勉強をしないとならないのだ。好きなことをやって楽しんで生きるべきだろう。子孫を残すとか退職金の心配をしてもなくなる世界を前になんの意味がある。だから僕はゲームをやる。いい学校に行くのは生きている間のお金を稼ぐためだけだ。滅びる世界のためじゃない」と言ったのだとか。
なるほど・・・
この厭世的な考え方を持っている知り合いが数人いるので、気持ちはわかる・・・。終わりの見えない感染症の時代だし。
「お前はどう思う?」
「まず、大人たちがバカだという点ではWと同じ考えだよ。世界がこんなに大変でも、選挙のことばかりしか考えてないように見える。しかも、子孫に課題だけを託すのは無責任すぎる。一部の先進国が協調しないから、どんどん温暖化は進んでいる。僕らが大人になる時では手遅れなのは明白なのに、みんな目先の利益ばかりを求めて、子供や孫の世代のことは考えていない。こんな目先だけの世界を託されて、いったい僕らに何が出来る? 利権とか金儲けばっかり、そのせいで、世界は、手遅れになりつつある。人間は一度滅びないとダメな生き物かもしれない、と思ってる。パパにも責任がある」
手厳しい意見だった。

退屈日記「息子と夕食の時間に語り合った世界にとって大事なこと」



僕は大人として、W君の考え方がちょっと間違えていることを説明した。
人間の可能性というものは諦めた時に消えるものだと伝えた。
もちろん、君たちの不満は理解できる。
人間の悪いところだけを見るか、いい面を信じて生きるかで世界との向き合い方は変わってくる。
一人の人間がこの世界を変えることは出来ないが、みんなが自分の居場所で頑張り同じ志の人たちが連帯すれば傲慢な国や政府の人たちをも本当は動かすことが出来る。選挙権はこちらにあり、彼らを選んでいるのは自分たちなのだから。
問題はW君のような考え方を持った大人が多いので、人任せにしていること、選挙に関心がないくせに、世界が悪いと批判だけする人・・・。
今がよければいいという考え方が子供たちの未来を閉ざしていることなのだ、と伝えた。
僕らの議論はそこから白熱し、経済や政治や宗教のことなどへと及んだ。
「ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は同じ神を信仰しているんだけど、神様の見方が違うんだよ。想像の仕方が違うから、つまり喧嘩になる。テロを食い止められないか僕らは学校で議論をしているけど、この問題の根っこはそこなんだよ、パパ」と持論を展開した。

でも、こうやって、話し合いが出来ることはいいことだし、ぼくは、そういう時間に、息子の精神状態を確認している。
健全だと思った。



ぼくは食べ終わり、お皿を片付ける段になって、小さな提案をした。
「いつか、君の曲でギターを弾かせてよ」
息子は顔をあげて、悪くないね、と言った。
息子は独学の音楽スタイルを築いた。なかなか素晴らしい世界観だと思う。
年齢を重ねるとともに、レベルが上がり、自信へと繋がっている。
ぼくはその才能を素直に評価し、一緒に何か作らないかと持ち掛けてみたのだ。
「ギターでよければ、いつでも参加できる。生ギターを入れたほうが音楽に幅が出るよ」
「うん。そうだね。いつか、お願いするね」
「いいよ。よし、やろう」
いつもだったら無視されるか、嫌がるところだけど、たくさん会話した後だと「いいよ」が生まれる。
「いいかない。こうやって、セッションでつながる、こと。人間にしかできないことだ。まだこの世界をよくすることが出来る、とパパは信じている。少なくとも音楽や芸術にはその力がある。権力者が武器とか核兵器で武装するのなら、人間は音楽や文化で戦えばいい。武器は脅かすことしか出来ない。音楽ならば人類の心を一つにすることが出来るんだよ」
息子の目に人間の希望の光りが宿っていることを僕は見逃さなかった。

退屈日記「息子と夕食の時間に語り合った世界にとって大事なこと」



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