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滞仏日記「なんと84歳の母さんがエキストラにまじっていた!」 Posted on 2019/07/11 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、心配された雨、天気予報によると撮影期間はずっと雨だった。でも、今日だけは晴れてほしい。そんなことは無理だと分かっていながらも、晴れてほしいのだ。いきなりの、ラストシーンだからである。半ばあきらめムードで朝起きてみると、雲間に太陽があった。信じられないことに、福岡は晴れている。ずっと雨だったのに、雨だと予報が出ていたのに、一番大事なシーンで晴れた。こんなことが起こるからこそ、人生は面白い。
 

滞仏日記「なんと84歳の母さんがエキストラにまじっていた!」

©SAP CHANO

 
警察の許可を取り、中洲中央通りという西日本最大の歓楽街の目ぬき通りを交通規制かけて封鎖し、博多祇園山笠の一番のクライマックスの一つ、祝儀山の撮影をやる。これまでに何度も入念な打ち合わせをし、絵コンテを書いて、カメラマンやスタッフとああでもないこうでもないと議論を戦わせ、大勢のエキストラや山の舁き手の方々にも集まってもらい、その上、街角に警備員まで配置しての大規模な撮影となった。交通規制がかかる朝の10時30分から解除される13時30分までの間に、20カットほどを撮りきらなくてはない。

晴れたのだから、なんとかなるだろうと現場に出かけてみると、助監督が蒼白な顔で走って来た。
「監督、Mさんがトラブルで飛行機に乗れなかったそうです」
「え? なんだって?間に合うの?」
「わかりませんが、次の便には乗れたみたいです」
「入れる時間は?」
「ぎりぎりかと」
僕は頭を抱えた。2時間で20カットを撮らないとならないこの大事な場面でのまさかの事態である。一難去ってまた一難だ。
 

滞仏日記「なんと84歳の母さんがエキストラにまじっていた!」

そのような予期せぬ不測の事態というのは撮影期間中毎日のように起こる。一難去ってまた一難去っての次々の災難であった。

何が起ころうとやり抜くしかない。僕は全力を振り絞って撮影と向き合っていた。沿道を埋めるエキストラ、山を囲む中洲流の方々、そしてわが撮影隊数十名。腹の底から振り絞って、大声を張り上げていると、僕の視界を何かがすっと掠めた。それは見覚えのある顔だったが、それだ誰だったか、思い出せない。蜃気楼のように、次の瞬間にはそこにいない。我に戻って、あたりを見回しても消えてしまっている。助監督が走って来て、Mさんが福岡空港に到着した、という報告を受けた。そこで僕は再び、台本通りにやる指示を出した。その時、また視界を何かが掠めた。まさか、ここに母さんがいるわけはない。エキストラの中を急いで探すけど、母さんを見つけることは出来なかった。84歳で、視力に問題のある母さんが一人のこのことやってくることはできない。とにかく、幻影を振り払うようにして、僕は撮影に集中するのだった。

運を天に任せるというのは、余計なことを考えず、目の前のことをひたすらこなしていく、ということでもあった。結局、Mさんは撮影開始直後に飛び込んできて、撮影は予定通り執り行われることになった。よかった。天候にも恵まれ、撮影は順調に進み、予定していた20カットは一時間前倒しで全て完璧に撮影しきることが出来たのだ。起死回生の大逆転となり、エキストラの皆さんから大きな拍手が起こった。

それにしても、山笠の期間中だけは博多が別世界に変貌する。中洲を山が縦横無尽に走り回る。その都度、交通規制が行われるのだけど、車を止めているのは警察じゃなく、山の人たちなのだ。彼らが交通警察官さながら、交差点で、笛をふき車を止めている。水法被を着た若い衆たちが車を止めるが、文句を言うドライバーは一人もいない。

僕ら撮影隊は山についていくだけで、くたくたになるが、山の人たちは一切不平を言わず、喜んで、まるで魂を燃やすように、一丸となって、脇目も振らず、物凄いエネルギーを迸りながら、博多を疾走する。それが中洲だけではなく、博多側の各所で行われているというのだから、博多祇園山笠という祭りはすさまじい。山笠の人たちの人間味あふれるその生き様に僕は今日も心を打たれるのであった。
 

滞仏日記「なんと84歳の母さんがエキストラにまじっていた!」

滞仏日記「なんと84歳の母さんがエキストラにまじっていた!」

夜、弟から「母さんが夕飯を一緒にしたいが時間があるか」と電話があった。夜の撮影までの間に、小一時間休息時間があったので、ホテルのレストランで落ち合った。すると母さんが不意に「ひとなり、お疲れ様やったね、ようがんばっとったたいね」と切り出した。
「あの、もしかして、あの沿道のエキストラの中にまじっていましたか?」
「ああ、おった。みとった。みつからんように、お前がこっちば振り返ったら、サッと、友達の陰に隠れて・・・」
やっぱり。
「そりゃ、冥途の土産に、見とかな。死ぬに死ねんたい」
そう言うと母さんは勝ち誇ったように微笑むのだった。僕は弟を睨んだ。
「あにき、僕も止めたんだけど、友達と行くって聞かなかったんだよ」
すると84歳が、だってね、とかわいらしく言い訳をした。
「お前らに言うと、年寄りの来る場所じゃないって言うに決まっと。だけん、こっそり出かけたとよ。まあ、でも、ひとなり、お前が元気でなによりでした。なによりでしたね」
 

滞仏日記「なんと84歳の母さんがエキストラにまじっていた!」