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滞仏日記「息子と共演する日」 Posted on 2019/07/20 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、「愛されたいと願っている。僕らは真夜中のキッチンで」という歌詞はECHOESの初期のナンバー「ジェントルランド」のサビ部分だけど、それを書いたのが25歳くらいで、なのに、「よ~わかるわ~」と感動している59歳の自分は、今もキッチンで愛されたいと思っているのだから、笑える。

なんでこんな歌詞を書いたのかな、と今更ながらに思うのだけど、それが今の自分にも理解できるということが、ある意味、自画自賛で申し訳ないが面白い。「僕たちはこの街じゃ、夜更かしの好きなフクロウ、本当の気持ち隠している、そう、カメレオン」というのはZOOの冒頭の歌い出しだけど、これも今だに、「よ~わかるわ~」ということになる。ちなみに今これを書いているのは朝の4時で、僕はいまだに夜更かしのフクロウだ。

歌の歌詞ってその時代の自分の思いが詰まっていて、こうやってたまに古い曲を訊き返していると、ドキッとすることがある。ある意味、「なんも変わってないじゃん」という思いと「普遍的なものがあるね~」という二つの気持ちの交差があって、でも、こうやって時を超えて言葉が残る、誰かに口ずさまれるというのは有難いことでもある。

最近、息子と曲を作った。あいつが初恋というのか、恋人が出来た記念に二人で曲を作ったのだ。「二人の間に何があるの? それともまだ何もないの?」という歌い出しなのだけど、これは2019年の今じゃないと作れなかった曲であり、歌詞であり、恋する息子がいたから生まれたのだと思う。これもすごいことだな、と思っている。この曲が昨日完成をして、息子からデータが送られてきたので、それを知り合いのプロデューサーに聞かせたら、ぜひ配信させてほしい、と言われてしまった。とりあえず、どうなるか、息子とのユニットになるので、わからないけど、僕が書いた歌詞よりも、断然に息子が作った曲の方が素晴らしい。「よ~わかるわ~」という世界観なのだから、人間ってすごいね。

こうなってくると、10月12日、オーチャードホールで息子と共演したいと思いはじめたりしてくるが、もしも実現したら、まさに60歳の記念ライブにとっての祝い花となる。彼はエレクトロとかハウスとかヒップホップの世界へと進んでいる。でも、僕がやってきたロックのこともリスペクトしていて、一緒に昔のロックバンド、パープルやツェッペリンの曲なんかを聴いて楽しんでいる。親子でこうやって共作できるのも音楽の普遍性のおかげであろう。時が変わろうと、その中身は変わらない。もしも配信や父子共演が実現したら、きっとそこにあるものは可能性じゃないか、と思う。ともかく、この共作を皆さんに聴いていただきたい。 
 

滞仏日記「息子と共演する日」