JINSEI STORIES

滞仏日記「若くして引退をし、余生を楽しむというFIREという選択肢」 Posted on 2019/08/05 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、あれだけ熱波だ酷暑だと言われていたのに、パリに戻ってみると、7月の猛暑が嘘のように涼しい。ちょうど僕らの移動に合わせて6、7、8月と涼しい気候がついて回っている。ちなみにこの日記を書いている今現在の温度は19度、肌寒い。昼間でも25度くらいなので過ごしやすい。フランスの夏休みは2か月半もあるので、ここからが後半戦に突入という感じ、なんと学校がはじまるのは9月の第一週なのだ。

子供たちは年に半分くらいがお休みという、日本では信じがたい学生生活を送っている。(けれど、遊んでばかりいると落第する。息子の学校は今学期、20人ほどを落第させた)息子の親友のアレックスは6月末から7月末までアメリカ留学をして今日パリに帰って来た。明日からお父さんの故郷であるイタリアのミラノで8月末まで過ごすのだとか。これほどに休みが長いと大変なのは親である。学校に行ってくれている方が楽だ。なので、この長い夏休み、大人たちも順番に休みをとっていく。だから、パリの生産性は低下し、物事を処理する速度が見た目に明らかに落ちる。たとえば郵便局など公立機関の営業は午後13時から18時くらいまでと短くなる。ともかく、大人たちもこのバカンスを楽しみに生きているので、夏の間は仮に窓口があいていても、全体的にゆっくりモード。フランスの大人たちは7月と8月の二回に分けてまとまった休暇をとり、家族でどこかに出かけてしまう。民族の大移動という感じ。なので、パリ市内はゴーストタウンのようになってしまう。

各カルチエの主要なカフェは開いているけど、働いている人たちが夏要員に代わっているところが多い。いつものギャルソンではなく、アルジェリアとかナイジェリア辺りからやってきた移民の人たちだ。夏のパリはフランス人がいなくなり、移民たちできりもりをしているところが多くなるので、パリなのだけど、普段のパリではないちょっとエトランジェなパリが広がる。僕は個人的にこの静かでどこか地中海的な長閑なパリが好きだ。

息子は昼食を食べ終わると、ビートボックスの仲間たちと遊びに出かけた。シャトレーとかマレ地区の道端で親しい連中と路上ライブをやっている。日本でも一時、ヒューマンビートボックスというのが流行ったが、ああいう綺麗で美しいものではなく、もっと激しい、どちらかというとクラブサウンドのような複雑なリズムを口だけで演奏する新しい音楽のジャンル。息子は仲間たち七人とビートボックスのグループを結成、最近マネージャーもついた。昨日はあのFIFAが主催するイベントで、何百人もの観客(旅行者だろう)の前で演奏をしてきたのだとか。僕が知らない間に、彼は彼の世界を広げて楽しんでいる。

最近はフランス人も倹約家が増えて、パリ居残り組たちはセーヌ河畔に砂を持ち込んでパリ市が運営するパリプラージュ(パリ海岸)のビーチで日光浴をしたり、居残り組たち向けのイベントに出かけて静かなパリを満喫している。正直、この時期のパリはフランス人がいないという点で純粋なパリとは言い難いが、逆を言えば、皮肉屋のフランス人がいないので、リゾート感溢れる過ごしやすいパリを満喫することも出来る。
 

滞仏日記「若くして引退をし、余生を楽しむというFIREという選択肢」

8月の末から徐々にフランス人が戻って来て、いつものリズムに戻る。9月のパリは活気があって、とっても面白い。鋭気を養ったフランス人たちは水を得た魚、仕事もテキパキとこなしてくれるので、公共機関も並ばなくて済む。人間の能率を考えると休んでは働くというこの人間味溢れるフランス的なリズム感は正しいように思う。みんなバカンスなので、一人だけ働いていると本当に人間として失格しているのじゃないか、と思えてくるから不思議だ。この日記も筆が進まない。なんのために生きているのか、と彼らに問いかけられている気になる。でも、確かに、齷齪生きても、のんびり生きても一生は一生。贅沢をしなければ、人間らしく生きる道もあるな、と最近、つくづく考えるようになった。

最近、FIREという新しい生き方が世界的に話題になっている。若くして引退をして、長い余生を楽しむという新しいライフスタイルだが、これが気になって仕方がない。まず25年間分の生活費を計算し、それを必死に稼いで、全額を投資に回し、そこから出てくる配当金で毎年生活するというとんでもない考え方で、アメリカではかなり多くの人がFIREを実践している。フランスでもFIRE的人生を真剣に考えようという動きがあり、よくニュースになっている。老後の年金問題で揺れる日本などでも流行る気がする。僕も調査中だけど、息子が高校卒業する頃、FIREするのも一つの手だな、とマジで考えはじめている。さて、ワーカホリックな僕にそんなことが出来るのだろうか。じゃんじゃん。
 

滞仏日記「若くして引退をし、余生を楽しむというFIREという選択肢」