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滞仏日記「魂を信じることの意味」 Posted on 2019/08/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、朝、スコップとバケツを持って田舎の浜辺を歩いた。岩場の多い浜辺だが、9時くらいに潮の引いた波打ち際の砂の中に貝がいる、ことをステファンが教えてくれた。
砂の中にスコップを入れると、コック貝(ヨーロッパざる貝)やアサリ、クトー貝などが出てきた。
とくにコックは小さなバケツがいっぱいになるほど獲れてしまい、食べきれないので海に戻したほど。
コック貝はチョリソーと一緒に酒蒸しにしてしまう。これが美味いのだ。母方の実家が大川で、もともと祖父は発明家で、海苔の巻き上げ機で特許をとった。
だから有明海の潮干狩りによく連れて行ってもらった。
何隻もの漁船を連ねて沖まで出て、潮が引くのを待つのだけど、あの広大で壮大な眺めは忘れられない。
海の中に出来た砂地を掘って貝を収穫するのが楽しくてしょうがなかった。でも、ノルマンディーの海は沖まで出る必用もなく、朝、浜辺で簡単に獲ることができる。だいたいカモメが目印になる。彼らが場所を教えてくれるのだ。

滞仏日記「魂を信じることの意味」



ステファンがボンゴレを食べたいというので昼に作った。
残念ながらアサリはほとんど獲れなかったので隣町の魚屋で買って、塩抜きをし、ニンニクとパセリで炒めた。
貝が熱に我慢できなくなりパッと開く瞬間の、あの残酷さで毎回ちょっと胸が痛くなるのだけど、その痛みはボンゴレを頬張った瞬間に、そのあまりのおいしさのせいで忘れてしまう。
人間の心なんてそんなものだ。

滞仏日記「魂を信じることの意味」



ステファンの奥さんは翻訳家だった。
ぼくの作品を手掛けはじめた直後に亡くなっている。
それで彼との仕事は中断、ステファンは奥さんのロスから立ち直れず引退、ぼくのその小説は彼が勤めていた出版社から出せなくなった(ほかにも理由があって・・・)。
でも、ぼくの小説の行間で亡くなった彼女の存在は、ぼくの記憶の中で印刷され残った。
「ちょっと、あいつの部屋を見てみないか?」
「え、ああ」
ステファンの奥さんはここで亡くなったのだそうだ。
その仕事部屋が当時のまま残っているというので、連れて行ってもらった。
らせん階段を上った、
塔のような尖ったてっぺんの部屋には、光りが溢れていた。
窓際に机があり、壁側に小さなソファベッドがあった。
「仕事に疲れると彼女はここで昼寝していた。死んだのもこのベッドの上で。ここで死にたいと言い張ったので、医者の反対を押し切って、連れて帰った。もう、末期だったから、ぼくにはよくわかっていた。ぼくの父は軍医だったからね」
「お墓は?」
「一応、あるけど、・・・。家族のために。でも、ほとんどは彼女の遺言でそこにはない」
「どういうこと、どこに?」
ステファンは答えず、窓の外に広がるイギリス海峡を見つめた。光り輝く、金色の海面がまばゆかった。
「美味しかった。君は作家のくせにほんとうに料理が美味いな。料理人になれば大成功していたかもな」
冗談とはとれない口ぶりに苦笑する。 
「あのアサリの味を噛みしめるたびに、あいつのことを思い出す。人間というのはそうやってこの星の上で巡っていくんだ。ところでひとなりは魂を信じるだろ?」
ぼくは水平線を見つめながら、頷いておいた。彼が言いたいことはわかっていた。彼女が訳していたぼくの作品は「魂」についての小説であった。

滞仏日記「魂を信じることの意味」



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