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滞仏日記「一期一会が人生を動かすの巻」 Posted on 2019/09/18 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、しかし、ぼくはなぜか、カフェですぐに人と仲良くなる。二日前に行きつけの中華レストランで犬を連れたご夫婦と隣同士となり、ボンジュール、可愛いワンちゃんですね、と挨拶を交わしたのだけど、その人が昨日、たまたま別のカフェで隣同士になり、「やあ、あなたは昨日の人ですね」と流暢な日本語で話しかけられ、なぜか、今日、ボンマルシェ脇のカフェバーでアペリティフをすることになった。わんちゃんと奥さんも一緒に。前回、運気をあげる方法についてここに書いたが、ぼくはほぼなんの予兆もなく誰かとこうやって出会っていく。少し前の日記で書いた福島の武士君も東京の居酒屋でたまたまその時間に隣同士となったのがご縁であった。

さて、人の出会いには必ず意味がある。いいものもあるし、悪いものもあるけれど、しかし、どちらも人生を成長させるということでは同じ方向を向いている。一期一会というが、一期とは仏教語で一生をさす。一期一会はもともと茶道の心得で、どの茶会も一生に一度しかないという気持ちで挑めということから来ている。この考え方はぼく自身の生き方とよく重なる。常に今日こそ人生なのだということであろう。

時間というものは過去から不可逆的に未来へと進んでいる、と人は誰もが思って生きている。でも、そういう概念が人間に植え付けられてしまったせいで、これを否定すると、人間としてすこし問題のある人と思われがちだ。ぼくは幼い頃から過去とか未来は存在しないと思い続けてきた。なので、デザインとしての腕時計は面白いと思うから持っているけれど、道具としての意味や価値がぼくには全くないので、(基本)腕時計はしない。時計の針がくるくる回るような感覚での時間という概念をぼくは持ってない。たぶん、特殊な人間かもしれない。今日という単位と、今という単位があるだけだ。もっというならば、今日の自分は昨日の自分の続きでもないし、そもそも明日の自分などないのだよ。たまに来世のために今生を生きていると信じる人と出会うけれど、そういう理由で、話がかみ合ったことがない。ぼくは常に今の中にある。この瞬間だけに意味を求めていることの良さは、未来を恐れないこと、過去を後悔し続けないことである。

滞仏日記「一期一会が人生を動かすの巻」



ファブリス氏の話す日本語は完璧であった。日本が好き過ぎてずっと日本で生きてきたそうだ。ぼくが渡仏した同じ年に彼は渡日している。なので今日まで会わなかった。で、会ったとたんに、お互いが大昔から知っていたかのように共通の知り合いだらけだったのだから、人生とはまことに面白い。なんで今まで会わなかったの? しかも、なんでこんな風な神様のいたずらで会うのでしょうね、となった。でも、お互い驚いている風でもない。彼はパリに日本の文化や伝統や精神を持ち込む仕事の準備に追われている。そのために数日前からパリで暮らしているのだ、と言った。そのわずか数日間でぼくらは3回も会っている。しかし、面白いくらいにお互いが考える日仏文化の共通性や重要性で一致した。ファブリスさんは「日本とフランスが手を組むことで世界はいい方に変わる」と言い出した。「日本とフランスはこの広い世界の中で一番お互いのことをよく理解できる国同士なのです」日仏国民性は異なるが、でも、お互い文化的に引き合うものが確かにある。そして、その伝統や文化、英知がこれからの世界には必要なのだ、という結論であった。ぼくらは和食屋に席を移し、遅くまで語り合った。木曜日にパリでライブをやるのだけど、来ませんか、と誘ってみた。用事があるようだったが、この機会を逃せないということになり、ご夫妻での参戦となった。また、面白い男がぼくの人生に登場をした。一生の中で出会う人は何人くらいるだろう。縁は切れたり繋がったりするものだが、どういうご縁であろうとなくなることはないとぼくは思っている。ファブリスさんはきっとぼくの神様の人形箱の中で今日まで眠っていたのだ。神様が、今、この瞬間のぼくに必要だと判断をし、地上界に彼を投下した。また逆を言えば彼の神様も辻人形をその人箱からとりだし、彼の一期のこのタイミングでぼくを投下した。で、これを一期一会と呼ぶのである。

滞仏日記「一期一会が人生を動かすの巻」