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滞仏日記「大丈夫だろう、と前を向く」 Posted on 2019/10/03 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、いくつになっても、人間はいろいろな角度で何かいちゃもんをつけられるのだ。どんなに清く生きようとしていても、どこの誰だかわからない人に「え、そこですか」と思うような角度で、つっこまれ、とやかくいわれてしまうのが人間、60歳を目前にしながらも、解せないでいる。みんな笑顔で摩擦もなく、お互いを尊重し合って仲良く生きていければいいのにね、と思うが、それが本当に難しいし、程遠いのが、我々が生きるこの世界というものだ。一生懸命やっていても、非難される世の中だから、これはもう気にしないで大丈夫だよ、とぼくはぼくに言うようにしている。

涼しく生きている人がいるなぁ、と思ってちょっと観察をしてみたのだけど、そういう人というのはよく見ていると、世界をスルーしている。何かバリアのようなものを着ているというのか、笑顔で躱しているというのか、もっと言えば、世界の痛みとか見てない。憎悪とか嫌悪とかそういうものを見ないようにして生きている。本質を問うと、上手にはぐらかされてしまう。現実を抱える気なんかさらさらないというのか、そうしないことがその人の生きる方法なのであろう、だから涼しい顔でいられるのに違いない。

昨日、医療関係で働いているという厄年の男性と居酒屋で隣になった。高い薬を買えば助かる命なのに、と思いながら働いていて、しんどいです、と呟いた。ぼくなんかにどうすることも出来ないので、ただ黙って一緒に酒を飲んだ。この人は人間の痛みをスルーできない人なんだ、と思ったら、大丈夫ですよ、と言葉が出てしまった。大丈夫だろう、とぼくらはよくつかう。この「だろう」は、確定ではないのだけど、そういう未来が来ることを励ますというのか、認めてあげようとする言葉だと思う。大丈夫だろう、と言い合うことで、見ず知らずの人でも寄り添うことが出来る。何もしてあげられないのは当然で、しかし、スルーしないでいたいと思う人間の心を失わないでいられることが、大丈夫だろう、に繋がる。

見ず知らずの人に言われる文句とか誹謗中傷とか難癖とか、ほんとうにそういうことだけはスルーして大丈夫だと思う。でも、見ず知らずの人間が苦しいのは誰もが共有できる気持ちなので、ぼくは大丈夫だろうと言いたい。不条理な世界だから解決策は誰にもないが、人間が人間であるいいところだけを失わないでいたいものだ。ぼくらは聖人君子にはなれない。一人の弱い人間でしかない。そこはだから無理をする必要はないので、全部を受け止めて生きる必要もないと思う。自分が壊れたら、あなたの家族や周りはどうするのか。自分に出来ることを出来る範囲でやることで、少しずつ世界と関わっていけばいいし、それが人間に出来ることなのだろうと思う。

スーパーマンは、人間にそれが出来ないから、生み出されたキャラクターであり、本当ならスーパーマンになってみんなを助けたいという人類の願望の結晶なのだと思う。スーパーマンになれないぼくらは自分の居場所で頑張るしかない。しかし、みんなが自分の居場所で頑張れば、そこに幻の人類のスーパーマンが誕生する。それがとっても大事なことだとぼくは明日、60歳を迎える前に、今日、考えていたりする。60歳なんて、まだたいしたことはない。思えば、ぼくも厄年であった。まだまだ未熟だなぁ、と苦笑する日が続く。 

滞仏日記「大丈夫だろう、と前を向く」