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滞仏日記「息子が考える幸福論」  Posted on 2019/10/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子の部屋からゴトゴト、ガタガタと朝から凄い音が響いている。顔を出すと、大掃除&部屋の家具の配置換えをやっていた。ベッドを本棚にくっつけたことで、部屋がちょっと広くなった。
「どうした? なんで急に」
「うん、エルザが来るからさ」
なるほど。恋人がもうじき遊びに来ることになっている。今、フランスは秋季バカンス中なのだ。400キロ離れたナントから日帰りで息子の恋人が我が家にやってくる。いつもはゴミ屋敷の一歩手前状態で、片付けろよ、と言っても、うん、というばかりなのに。恋人にいいところ見せたいと思う気持ちはわかるが、なんとも現金や奴である。
「普段から、これくらい片付けてればいいのに」
皮肉を言ったつもりだが、恋する高校生には響かなかった。
「これから、そうする。いつでも彼女が遊びに来れるようにしとかなきゃ。あ、パパ。今日、イケアに行ってもいい? 買いたいものがあるんだよ」
「え? なに?」
「小さな絨毯。ここに置くんだ。それから小さなランプをこの棚のところに一つ」
部屋の中央のスペースを指さし楽しそうに言った。
「ランプ?」
「光りの演出、大事でしょ?(ここはフランス語が混じった)」
やれやれ。貯めたお小遣いで買える範囲のものならどうぞ、と言った。すでに算段済みのようで、50ユーロ以内なら好きに使える、と説明をしはじめた。苦笑しながら、ぼくはベッドに腰を下ろす。すると息子がその横にぴったりと座った。そして、嬉しそうな顔を浮かべ、エルザと過ごす一日の計画について語り始めた。それは前にも聞いたスケジュールだったが、内容が微妙に変更されている。行きたい店が増えていた。
「あのね、ぼくは自分が幸せに飢えていることに気が付いたんだ」
ドキリとすることを言い出した。
「パパには感謝しているけど、パパはもうシニアじゃん」
何を言い出すんだ!
「シニアってさ、メトロとか料金が安くなるでしょ」
不意にぼくはそのことに気が付き、愕然としてしまう。確かに、もしかしたら美術館とかもシニア料金になるのだろうか。得したようで、同時に、現実に打ちのめされてしまった。息子が苦笑する。
「パパと二人で生きたことは忘れないし、パパには長生きしてもらいたいけど、ぼくはぼくで自分の人生を考えないとならないからね。家族を持って、堅実に、欲張らず、この世界のどこかで、自分の幸福を生きていきたいんだよ。ぼくは幸せになりたいし、小学校の頃からずっと幸せを求めていた。野心を持たず、愛する家族と静かに普通に生きたい」
そういうようなことを息子はとくとくと語りだした。人生は思い通りにならないものだぞ、と言いかけたが、慌てて、ぼくは口を噤んだ。それは彼の人生なのだから・・・。
ぼくは子供部屋を見回した。ガールフレンドがやって来るだけでここまで世界が変われるんだ、と思うとくすぐったいし、嬉しかったし、エルザに感謝であった。
「あ、パパ。今日のランチ、ぼくが作ってもいい?」
「いいよ。何、作るの?」
「エルザに食べさせたいサラダがある。知ってるでしょ? サラダ・パリジェンヌ」
ぼくは噴き出してしまった。
「それ食べたら、エルザもパリジェンヌになれるな」
「ならないよ。彼女はずっとナンテーズ(ナント人)でいい」
「冗談だよ」
「わかってるよ。パパの冗談はずっと昔からシニアジョークだもんね。若い子にギャグ連発すると嫌われるから要注意」
ぼくらは笑い合った。息子が大人に見えた。来年の3月までに息子は大学進学に備えて専攻分野を決めこまないとならない。ぼくらは彼の将来について語り合った。家族を育てていくために必要な条件を満たす、でも、自分がやりがいを持って挑める将来を彼は探さないとならない。珍しく、息子の話しに終わりはなかった。そこには希望と未来と幸福しかなかった。それを微笑みながらじっと聞いている自分がいた。もうすぐ、我が家にエルザがやってくる。ぼくはどんな顔で彼女を迎えればいいのだろう。普通にしていてよ、と息子は言った。普通くらい難しいことはないというのに。ぼくは今日から普通でいるための特訓を開始することになる。 

滞仏日記「息子が考える幸福論」