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滞仏日記「子育ては義務じゃない。逃げないで」 Posted on 2019/10/24 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、最後なので、ニコラと一緒に料理をした。生き物を食べるということをきちんと教えたかった。大根の面取りとか、包丁の握り方、炊飯器の使い方とか、彼の人生にはどうでもいいことだったが、だからこそ、ニコラはすごく関心を示した。何でも構わない。世界に対して興味を持たせることが大事だ。ちなみに今日の昼ごはんは、ピリ辛和風味のクスクスにしたのだけど、あえてピリ辛作戦が大好評となった。辛い辛いといいながら、みんなでわいわい完食してしまった。

滞仏日記「子育ては義務じゃない。逃げないで」

昼ごはんが終わる頃、マノンとニコラのお父さんが引き取りに来きた。
 「パパ、世界一の日本料理を毎日食べたんだよ」
 とニコラがお父さんに報告をしていたのがおかしかった。世界一の日本料理って、他にどんなもの食べた? 喜んでいるぼくに息子が耳打ちした。いいんじゃない、この子にとっては世界一だったんだよ。
 「いつでも、遊びに来いよ」
ぼくはニコラをぎゅっと抱きしめた。ニコラが楽しかった2日間を思い出したのか、泣きそうな顔になった。
 「シェフ、美味しかった。ありがとう」
マノンは携帯をいじりながら、現代っ子らしく小さく、バイバイ、とだけ言い残した。

おかげで助かりました、とお父さんは感謝してくれた。子供を2日も他人に預けるのだから、よっぽどだったに違いないとは思っていたが、その件について、午後、お母さんの方から長いメッセージが届いた。簡単に言うと、お母さんが育児疲れから体調を崩し二日間入院をしていたとのこと。精神的な問題から身体を壊した。それが原因で夫婦関係に影響が出てしまったらしい。もしかすると、ニコラたちは両親の別な一面を家で見続けていたかもしれない。だから、「心配しないで、いつでも預かるから苦しくなったら遠慮せず言ってほしい。うちは大歓迎だよ」、とメッセージを送っておいた。

「子育て」を義務みたいに考えるから逃げ出したくなるのだと思う。息子は十歳の時にぼくと二人で生きる道を歩くことになったが、言葉なんか必要ない、ただ寄り添うだけでいい、一緒に生きてるだけでいいのだ、一緒にご飯を作ったり、一緒にごろんとしたり、その結果息子は優しい子に育った。マノンとニコラの事情について余計なことは何も言わなかったけれど、それほど親しくもない家の子たちが2日も泊ってその間、親御さんからなんの連絡も入らなかったことが息子には気がかりだったようだ。だから、昨夜は寝るまで、息子はニコラと遊び続けた。お兄ちゃんが真剣に遊んでくれるものだからニコラは嬉しくてしょうがなかった。お姉ちゃんのマノンも、そんなニコラをじっと見つめていた。ぼくももちろん遊んであげるけど、やはり息子のようにはいかない。15歳の息子はニコラの気持ちが痛いほどよくわかったから、ニコラにぴったりと寄り添ったのだろうと思った。一緒に家の中を走り回り、一緒に手裏剣を作り、傍にピタッと張り付いて映画を観たり、ごろごろ寝転んだり、それだけで子供は安心するのである。

ニコラは「またここに来てもいいの? 泊ってもいいの?」と何度も息子に聞いていた。ぼくにも聞いてきた。いつでもおいで、ともちろんぼくらは口をそろえて言った。

滞仏日記「子育ては義務じゃない。逃げないで」