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滞仏日記「ニコラ、再び」 Posted on 2019/10/31 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子の恋人、エルザが来る予定だったので、新鮮な自生のイチジクのタルトを食べさせてあげようと思って、(美味しいイチジクをパリ郊外の知り合いの家の敷地内の山道でゲット!)、前日から準備していたのだけど、というのもタルト生地は一日冷蔵庫で寝かせた方が断然美味しくなるからだ!
ところが、国鉄のストでエルザが来なくなったものだから、イチジクのタルトだけが出来上がってしまった。お~まいごっと!

滞仏日記「ニコラ、再び」

タルト生地をせっかく準備していたし、美味しい自生のイチジクが大量にあったので、エルザは来なかったが、予定通り、午前中、キッチンでお菓子作りに励むことに…。息子はエルザが来ないことがわかると、同級生たちを家に集めてビートボックスのセッションをやりはじめた。すっごく美味そうなタルトが出来上がったので子供部屋まで見せに行き、イチジクのタルトいらんかえ~、と訊いたら、全員がそっぽを向いて、いりませ~ん、と断られてしまった。男の子たちって、イチジクとかブルーベリーとかあんまり好きじゃないね。とほほ。

滞仏日記「ニコラ、再び」



実は、ぼくも男の子だから、イチジクのタルトが苦手である。そうそう、これはあくまでもエルザのために作ったタルトなのだ。見た目めちゃ美味そうなイチジクのタルトがテーブルの上で寂しそうにしていた。やれやれ、と思ってほったらかしていたら、15時を少し過ぎたくらいに、ドアベルが鳴った。誰だろうと思いながらインターホンに出てみると、
「ニコラだよ」
と子供の声がした。
え? ニコラ? どうしたの? とフランス語で訊いたら、遊びにきた、と返事が戻って来た。ぼくは驚き、階段を猛ダッシュで駆け下りた。8歳児のニコラが玄関に立っていた。横にマノンもいた。
「二人で来たのか?」
「ニコラがムッシュに会いたいってうるさくて。わたし、これから友だちの家に遊びに行くので、預かってもらえますか?」
「え? あ~、もちろんだよ」
マノンはすぐに出て行った。ぼくは肩を竦めた。ニコラもぼくの真似をして、肩を竦めたのだった。

滞仏日記「ニコラ、再び」

というわけで、ニコラを家にあげ、イチジクのタルトを見せた。
「食べる?」
「え? いいの? うん、食べたい。美味しそう!!!」
ぼくはキッチンから泡だて器とボウルにいれた生クリームを持ってきて、彼の前でシャカシャカとやりはじめた。好奇心旺盛なニコラの目が輝いたので、途中から二人で、シャカシャカやって、ホイップクリームを作った。昔は息子君もやってくれたんだけどね、もう、今はやらない。大人になるということは、そういうものだ。完成したホイップ・クリームをカットしたケーキの横に添えたら、どうだい、美味しそうだろ!お皿に持って、ニコラに出した。美味しい美味しい、と言って、ペロっと平らげてしまった。おお、可愛い子である。

すぐにお母さんに電話をかけた。親は共働きなので、ニコラとマノンはお留守番。お姉ちゃんのマノンは友達の家に遊びに行きたかった。ニコラは寂しかった。それで、マノンがここに来ればぼくが預かってくれるだろうと思って連れてきたのである。
「ムッシュ、辻。ごめんなさい。夜に迎えに行きます。預かっててもらえますか?」
電話口でお母さんが言った。
「もちろんです。暇だったから嬉しいので、ゆっくり迎えに来てください。今は、僕の横でイチジクのタルトを頬張っていますよ。イチジクのタルト、人気のなかったタルトが喜んでいます。ぼくも嬉しい。だから、気にしないで」
ニコラはきっとこういう味に飢えていたのだろう、と思った。それにしても、イチジクのタルトが無駄にならなくてよかった。あのイチジクたち、こういう運命だったのかもしれない。おやつの後、ぼくはニコラとナルトごっこをして遊んだのだ。それにしても、楽しかった。子供と遊ぶと本当に癒される。

また、いつでも、おいで!

滞仏日記「ニコラ、再び」