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滞仏日記「はじめて舞い込んだ仕事は一度はやってみる」 Posted on 2019/11/04 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、日本のテレビ局の人からパリの自宅に電話があった。母さんにインタビューをする前にぼくの意見を聞きたいようであった。ディレクターさんは本を読みこんでいらっしゃったので、確認をするという感じだった。実はどういう番組なのかよくわかってない。とりあえず訊かれたことに正直に答えておいた。でも、「母は高齢だし、頭の手術をしているので、どこまでご期待にそえるかわかりません」とだけ言っておいた。数日中に母さんのインタビューが福岡で行われるらしい。ううう、本当に大丈夫なんだろうか…。

心配なので、とりあえず母さんに電話をしてみることになる。
「どうですか? 元気ですか?」
「ああ、まぁ、元気たい」
え? なんか、元気がない。いつもとノリがぜんぜん違ってる。
「どうしたの? 元気ないですね」
「ひとなり、私のこと本にしたでしょ。昨日、つねひさと本屋で買ったとよ」
ギクっ。
「買ったの? 送ったのに」
母さんを驚かせたくて、サプライズで出版した母さんの半自伝エッセイ集であった。弟とはやり取りしていたのだけど、本がまだついてないのはちょっと失敗であった。
「今、読んでるとよ。真ん中くらい」
驚いた。読めるんだ、知らなかった。頭の手術をして目が片方見えなくなっていたので、読まないと思って、結構、好き勝手に書いてしまったじゃないか!
「あの、で、どうでしたか…?」
恐る恐る聞いてみた。
「うん、だいたいわね」
だいたいわね、ってどういう意味なんだよ? 急にドキドキしてしまった。
「あの、だいたいとはどういうことでしょうか?」
「だいたいはあんなもんたいね」
それは、認めてくれたということだろうか? それとも不満があるの? 
「ま、よかけど…」
「よかけど、何?」
「いや、よかけど、私はあんなにかっこよくなかったい」
「そんなことないですよ。昔のことだから、覚えてないだけですよ。母さんは、どんな逆境に立たされても決して負けない人だったじゃないですか。好奇心旺盛で、正義感も強くて、凄い母さんだった。ディレクターさんも母さんの刺繍をみて、凄いって褒めてましたよ。ぼくもつねひさも誇らしい」
「あら、そうね。んなら、よかったたい。ただ…」
「ただ、なんですか?」
「お前はぜんぜん手のかからん子やった。お前はいつもなんでも自分でやった。だけん、私は何もしとらんとよ」
「ありがとう。でも、それじゃ、テレビは面白くないから、監督さんがいろいろ質問をするので、思い出せたことは何でもいいから喋ってください。僕のことは気にしないで、好きにしゃべって構わないから。あとは局の人たちを信じて、いつも通り、堂々としててください」
「わかりました。堂々だけは自信があったい。お前も堂々としとかんね」
「あ、はい、わかりました」
やれやれ、大丈夫かな。84歳の母さん、でも、相変わらず自分を持っている強い人であった。飄々としているのだけど、肝っ玉の据わった母さんである。
「今更だけど、母さん、テレビ出演、大丈夫でしょうか?」
「ああ、まぁ、私は来るものは拒まず、一度は必ずなんでもやってみるとよ。そしてあわなかったらもうやらんと。やってみんと批判もなんもでけん。臆病になったら損たい。ひとなり、はじめて舞い込んだ仕事は一度はやってみたらよか」
おお、金言が出ました。相変わらず、何気なく言って、次の瞬間には忘れてしまう、そこが母さんの凄いところなのである。
「じゃあ、お元気で」
「あんた、次はいつ来ると?」
「来年です。母さん、それまで元気に長生きしてくださいね」
「わかりました。ひとなりもね」
次の瞬間にすでに電話は切れていた。もしもし、と言っても返事は戻って来なかった。早っ。さすが九州の女である。ぼくは携帯を握りしめて苦笑してしまうのであった。

滞仏日記「はじめて舞い込んだ仕事は一度はやってみる」