JINSEI STORIES

滞仏日記「息子がついにディプロマを、ぼくは号泣した」 Posted on 2019/11/24 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ちょっと季節外れというのか、フランスの新学期が始まって二か月も経った11月下旬に、息子の中学卒業試験合格証書(ディプロマ)の授与式が盛大に行われた。すでに卒業生となって、全員、それぞれの高校へ進んでいるわけだけど、多分、国家試験なので、証書が届くのがこの時期なのであろう。はじめての経験なので言われた通りに、二人して正装して学校へ行くと、なんと赤い絨毯、いわゆるレッドカーペットがぼくらを出迎えた。息子にはぼくのお古のコムデギャルソンのスーツをあげた。馬子にも衣裳というのか、かなりの男前で(笑)、すらっと背も高く、切れ長の目で、がり勉君のようなフランスの子たちの中にあって、スポーツマンだからがっしりしているし、目立っていて、父親としてはそこですでに鼻が天狗より高かった。(すいません、超親ばか、お付き合いくださいね、今日だけは・・・)

滞仏日記「息子がついにディプロマを、ぼくは号泣した」



学生たちは別の入り口から入り、親はそのまま講堂へ。レッドカーペットの左右には蝋燭がともされ、さながら映画祭だ。講堂は卒業生の親で満席、ぼくは後ろの方の席に陣取ったが、小学校時代から一緒の学校の子ばかりで、親も顔見知り。やあ、やあ、と声をかけられて握手となった。校長先生が挨拶したあと、一人一人名前が呼ばれ、獲得した成績が発表される。「モンション・トレビアン」というのが一番いいランクになり、「モンション・ビアン」、「モンションアッセビアン」と続き、普通の子たちは特に告げられない。親としては自分の子がどのくらいの成績なのか、全員の前で知らされることになるわけで、少し残酷だけど、ま、それも流儀だから仕方ない。そもそもこういう仕来りであることすら知らないのだから、ぼくの場合なおさら緊張した。

A組の子の名前が呼ばれ、最初の子がステージに現れると親御さんたちの拍手喝采が起こった。誰の子であろうと関係ない、同じ学び舎で育った、育てた全員でものすごく盛り上がる。アメリカの大学の卒業式のような感じを想像してもらえばいい。最初の子は「モンション・トレビアン」と言われ、「この子はバタバタする子だったが誰よりも努力家だった」と評され、みんなから拍手を受けた。すでに、ぼくは緊張し過ぎて、拍手をする余裕すらない。走馬灯のように記憶が駆け巡る。悪いことよりもいいことしか思い出さないのが不思議だった。涙が目元を濡らした。ここまで育った、みんな素晴らしい、よく頑張った、と思うと映画よりもテレビよりもリアルで感動的であった。

もう、涙で何も見えない。となりに座ったパパ友のラヴィンツキーさんが、ハンカチを貸してくれた。ぼくが泣いているのに、みんな笑顔だった。別の親御さんに「まだ、君の子は一番最後だからね、今から泣くのは早いよ」と慰められてしまった。一昨日の日記に書いたが、先生は女の子の名前の前に「マダム」をつけた。後ろのお父さんが「あの子結婚したのか」と言い出し、横の別の子のお母さんが「行政的に女性は全員マダムになったのよ、知らなかったのですか」と諫めた。このことを知らないフランス人がかなりいる。そのお父さんは周囲の人に「マドモアゼルの方がふさわしいのにな」と抗議していた。「女性蔑視よ」と別のお母さんが小言を言って切り捨てた。こういうところもフランス的である。

そして、あのウイリアムが登場し、あのロマンが登場し、あのマークアレクサンドルとこの日記でもおなじみの子たちが次々に出てきたので、ぼくの緊張は最高潮に達した。とりあえず、映像を残さなきゃと思い、カメラを回した。すると、最後の最期にぼくの息子の名前が呼ばれたのだ。そのあと、先生が何を言ったのか、感動と興奮のせいで、理解不能なお父ちゃんになっていた。

息子が堂々と出てきて、担任からディプロマを渡された。「モンション・トレビアン」と告げられ、ぼくは再びドバっと涙が溢れ出てしまい、その後はもう完全に何も見えなくなった。子どもたちがステージの上で一斉に大声、叫び声に近い、を張り上げた。爆発するような感じで、感動が全ての親の頭上に降り注いだ。

滞仏日記「息子がついにディプロマを、ぼくは号泣した」



授与式の後、食堂で盛大なパーティが行われた。ワインと軽食がふるまわれた。この辺がフランス的である。幼馴染の子の親御さんらと歓談していると息子が駆けつけた。家の中では見たこともない笑みを携えて。恋人のことや進路について悩んでいる真っ最中で心配だったが、それを心地よく裏切る、まさに満面の晴れやかな笑顔でやって来た。そして、パパ、ありがとう、と告げた。親御さんたちが一斉に息子を取り囲み、「フェリシィタシォン(おめでとう)!」と彼の肩を次々抱きしめた。こいつ、愛されているな、と思ったら、ごめんなさい、ぼくはそこで、再び号泣してしまうのだった。 

※ 未成年のお子さんたちなので、写真はぼかしてあります。想像してご覧ください。

滞仏日記「息子がついにディプロマを、ぼくは号泣した」