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リサイクル日記「月が好きな人はだれもが月族なのです」 Posted on 2022/08/14 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、自殺の名所に「ハードディスクはちゃんと処分してきましたか?」と立て看板を設置したところ、飛び降りが減ったという記事を昔読んだことがある。ぼくも歳なのでいつ何時、なにが起こるかわからないから古いHDを整理しておこうと思った。案の定、息子が生まれた時の写真とか、いろいろと、思い出したくないもの思い出したかったものなどが出てきた。その中に「月族」の原稿があった。15年くらい前に、現在、84歳の母さん、今村恭子名義でこっそり出版をした小説である。全10巻の構想でスタートしたのだけど、3巻を出したところで止まったままであった。単行本は海竜社、文庫本は小学館から出ているが、現在は絶版。その最初の原稿の日付は2005年となっていた。2006年発売の初版の装丁は川上成夫さん、表紙が天野喜孝さんだ。天野さんはファイナルファンタジーの方で大ファンだった。もちろん、当時は今村恭子が辻仁成だとは編集者以外だれも知らない。
※写真、右が海竜社版、左が台湾で出版された月族の第一巻。
 

リサイクル日記「月が好きな人はだれもが月族なのです」



ボリス・ヴィアンの処女作「墓に唾をかけろ」も最初は存在しない作家名義で出版され、のちに実名が公表された。フランスの芥川賞みたいな文学賞を別名で書いて二度受賞した作家もいるし、つまり、ぼくも辻仁成に飽きて、自分を変えたかった。現実の今村恭子さんはとっても才能のある人だったけれど、父が家から外に出さなかった。だからずっと自宅で教室を開いて生徒さんに刺繍や木彫りや陶芸を教えていた。もし、母さんが作家だったら、と想像したことがあった。きっと面白い小説を書いていたことだろう。そこでぼくは歴史絵巻のようなSFファンタジー小説を架空の母さんに書かせようと思いついた。そのためにぼくは分厚いノートを用意し、生まれてはじめてち密に、起源数千年前にこの地球上にあったであろう世界のことを構想した。その地図はこのようなものである。
 

リサイクル日記「月が好きな人はだれもが月族なのです」

自分流×帝京大学

物語は下北沢の路地からはじまる。かつて、ぼくはそこで暮らしていたから土地勘もあった。ある日、その路地で、誰かに見られているような気がして振り返ると、家々の屋根の上に満月があった。その時、ぼくの中に「月の民の血を引く、壮大な時空を超える物語」の構想が浮かんだのだ。出版を依頼されていた海竜社の社長さんに相談をし、出版化と繋がった。ぼくの名義じゃない、無名の作家なのに、第一巻は数万部も売れて、熱心な読者の人がそこにいることを実感した。ぼくは今村恭子さんになりきって、というのか、その時のぼくは今村恭子だった。読者の人に返事も書いた。ファンクラブ「月族の会」というのが出来た。ぼくはそこに参加はしたことがなかったけど、彼らとのやり取りは心を揺さぶられるものがあったし、愛おしかった。その数年後、ぼくはラウドロックバンド、ZAMZAを結成し「月族」という曲を作った。

あの時代のぼくの「月族」熱は凄まじかった。で、発掘された過去のデータにはその時の熱が封じ込められていた。ぼくは発掘されたデータをもとに作家辻仁成としてあらたに書き直してみるのも面白いな、と思ったりした。このデザインストーリーズで不定期に連載をしてみたらどうかな。連載?笑。読者の皆さんの感想などを毎回参考に、新たな月族を再構築するのも面白いかもしれない。そんなことを密かに夢見ながら。
※そして、勢いでなんとなく、さし絵まで描いてしまった。
 

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