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滞仏日記「息子のガールフレンドのお父さんとピェンロー鍋」 Posted on 2020/01/13 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子が、何か言いたそうだった。こういうのは彼の所作でわかるので、どうした? と訊いてみた。ぼくらは昼食を食べていた。ちなみに今日のランチはピエンロー、白菜と春雨と豚肉の中華風鍋である。ごま油と粗塩で食べるのだけど、これがめっちゃあったまる。
「あのね、エルザがパパのライブを観たいんだって、いいかな?」
「エルザ? ああ、いいよ。久しぶりに出てきたね。仲良くしているの?」
「うん、いろいろとあったけど、遠距離を乗り越えてもう一度向き合ってるんだ」
そうなんだね、と言ったけれど、言葉が続かなかった。
「で、あのね、エルザのお父さんとお母さんもパリに来るんだけど、パパのライブに招待できる?」
ぼくの視線は息子の顔で動かなくなった。
「ああ、もちろん。でも、ナントから三人で出てくるの? ライブは日曜日の夜だよ。次の日、学校じゃん」
「うん、金曜日の夜にキャンピングカーでパリに入って、ライブが終わってから夜中にナントに戻る計画なんだけど。寝て帰るから大丈夫だって、学校は午後かららしい。ダメかな」

滞仏日記「息子のガールフレンドのお父さんとピェンロー鍋」



うちの子はぼくのライブに来たがらない。今まで、3回くらいしか観に来たことがない。しかも、楽屋から出ない。あ、一度は客席にいたけど、柱の陰から動かなかった。親が歌う姿がきっと恥ずかしいのに違いない。そのくせ、音楽をやっている。反抗期、思春期、真っ盛りなのである。でも、ガールフレンドの両親が音楽好きで、特にお父さんはギターリストで若い頃にはずっとバンドをやっていたらしい。エルザというよりも、お父さんがぼくのライブを観たいのだ、という。さて、どうしたものか…。去年の秋、エルザとは普通の友だちになった、と息子が落胆気味に告白したから、あまり根掘り葉掘り訊くのもよくないかな、と思ってほったらかしていた。でも、ニュアンスからすると、どうやら、復活したようであった。ヤングラブなので、復活も何もないのだけど…、遠距離の壁を乗り越えて、いい感じの自然な関係が続いているんだよ、と息子が言った。
「で、もしよければ、5人で食事をしてほしいんだ。エルザのお父さんはとってもいい人なんだ。パパとも気が合うと思う。ライブの前の日とかに、ごはん出来るかな」
ぼくはじっと息子の目を覗き込んだ。肩を竦めて、
「いいけど、ライブ前はお酒とか飲めないしな」
とやんわり言っておいた。
「ご飯だけでいいいよ。ほら、メイライのお店(息子を大事にしてくれる中国人夫婦のレストラン)とかに連れていくのどう? エルザはいまだ一度も中華を食べたことがないんだって」
口元が緩んでいる。息子のこういう幸福そうな顔には弱い。幸せなら、それが一番じゃないか。
「ああ、いいよ。それがいいね」
「本当は今日、パリに来る予定だった。でも、交通ストでTGVが動かないから、彼女のお父さんが助け舟をだしてくれたんだ。お父さんがエルザをパリまでは運んでくれることになった。音楽好きだし、パパのライブがあるし、ちょうどいいだろうってことになった」
「パパはどうしたらいいんだろうね」
「普通にしていていいよ。いつも通りでいい。ただ、ちょっと、ボンジュールって言ってほしい。あのね、ぼくにとってはとっても大事なことなんだ。パパには悪いとは思ったけど、エルザのお父さんにパパの歌を聞かせたいんだよ。そうしてくれるなら、ぼくは嬉しいかもしれない」
思えば、息子からこのようなことを頼まれたことは今まで一度もなかった。ぼくに出来ることがあるとすれば、エルザのお父さんと昔の音楽の話をすることくらいかもしれない。彼の方がきっと年下だけど、世界は一つ、聞いて育った音楽は一緒のはずだ。お見合いみたいでくすぐったいけど、明後日、息子は16歳になる。彼のささやかな希望を叶えてあげたい。わかった、と呟き、ぼくはピエンローに箸をつけた。ありがとう、と息子は言った。椎茸でとったスープが五臓六腑に染みわたった。残ったスープに卵とご飯を入れて雑炊にして二人で食べた。

滞仏日記「息子のガールフレンドのお父さんとピェンロー鍋」

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