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滞仏日記「息子の16歳の誕生日に、親として思うこと」 Posted on 2020/01/15 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、正直、日々が劇的に変化するということは滅多にない。今日が息子の16回目の誕生日であっても…。毎日、こうやってずっと二人で生きてきたし、日常は同じことの繰り返し。今日もいつも通り、朝七時に息子が起きてきた。登校の準備をしている子供部屋に顔を出し、「引換券」を手渡した。
「なに?」
「お誕生日おめでとう」
息子がそれを受け取り、袋の中からカードをひっぱり出した。
「誕生日プレゼントの引換券だよ。本日中に限り有効だから、何が欲しいかよく考えておけ。100ユーロまでだったら何でも欲しいものを買ってあげるよ。それが誕生日プレゼントになる」
息子が笑った。ぼくは息子の肩をぽんぽんと叩いて、送りだした。

滞仏日記「息子の16歳の誕生日に、親として思うこと」



二人きりになったあの日から今日まで、彼はそのことについて一切、口にしたことがない。だからぼくも何も語らない。ただ、ここパリで二人きりの生活が静かに繰り返されてきた。毎日、父と子は普通に、ある意味力強く、生きてきた。息子の幼馴染のお父さん、お母さんたちに支えられて、息子はここまで成長することが出来た。近所の中華レストランの女将さんとマスターが親戚のおじちゃん、おばちゃんの役割を担ってくれた。時々、ツイッターのフォロワーさんたちに的確なアドバイスを貰った。これは彼というよりもぼくにとってありがたいことでもあった。投げ出したい家事を、育児を続けることが出来た。日本の親族や友人らにも励まされた。最初の頃は誹謗中傷なんかも受けたけど、ぼくはそういうのは気にしないし、フランスにいる息子には届かないので、スルー。いちいち相手にしている暇も時間も余裕もなかった。それが日常というものである。

ニコラのお父さんとお母さんから同時に連絡が入った。「今日ですよね? よければ4人でちょっとお祝いしに寄りたいのですが、いいですか?」と。「どうぞどうぞ」とぼくは言った。二人きりの誕生日会は寂しいので彼らが来てくれることは大歓迎だ。こんな風に、血の繋がりもない人たちに支えられて息子は大きくなってきた。正直、彼にも言いたいことはあるだろう。父親であるぼくに対しても、世の中に対しても…。でも、彼は何も言わない。ぼくに出来ることは何だろう、と考えながらぼくはそっと息子を見守り続けてきた。でも、こうやって誕生日を祝うことが出来る。それは何よりのことじゃないか。

滞仏日記「息子の16歳の誕生日に、親として思うこと」

夜、ニコラが飛び込んできた。手に小さなプレゼントを持って。横にふてぶてしいマノンがいた。彼らの両親がその後ろにいた。息子を見て、お誕生日おめでとう、と彼らは歌うようにハモった。ぼくはみんなのためにチキン南蛮やズッキーニのグラタンやマカロニライスなど、日本の洋食を拵えた。ジュースで乾杯をし、息子の16歳を祝った。しかし、たぶん、息子は嬉しいわけじゃない。むしろ、幸福そうなニコラを冷めた目で見ている。ニコラは「マモン!」「パパ!」と子供らしく声を張り上げていた。珍しく甘えていたし、とっても子供らしかった。ぼくは息子がどんな気持ちでニコラを見ているのだろうと心配した。でも、息子はもはや大人なのだ。祝ってくれた人々をがっかりさせないよう大人らしく振舞っていた。ま、仕方のないことだ。だから、ぼくもそこには触れない。刺激しないように、そっとしている。手作りのバースデイケーキに蝋燭をたてて、歌いながらみんなの輪の中に運んだ。ニコラが手拍子をとりながら、一生懸命歌っていた。プライベートでは揉めているはずのニコラの両親も微笑んでいた。マノンも少しな離れた場所でクールに手を叩いていた。ともかく、息子は16歳になった。めでたいことであった。

ニコラたちが帰った後、息子は「引換券」を持って来て、差し出した。
「何にする?」
「ヘッドフォンがほしい。プロが使ってるやつ。100ユーロをちょっと越えるけども、いい?」
ぼくは頷いた。もので彼の心を釣るつもりはないけれど、一年に一度の誕生日なのだから、彼が欲しいものを買ってあげたい。それで息子が幸せだと思ってくれるなら、ぼくも幸せなのだ。この子がいつか心の底から笑える日が来ることを親としては願っている。それはきっと彼が自分の力で家族を作った時じゃないか。16歳、おめでとう。素晴らしい一年になることをパパは祈っている。

滞仏日記「息子の16歳の誕生日に、親として思うこと」

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