JINSEI STORIES

滞仏日記「カフェで気合注入コーヒーの選び方」 Posted on 2020/01/22 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくは苦味のあるコーヒーが好きなのだけど、ちょっと補足すると、イタリアンコーヒーの苦みは気が合う。残念ながらフランスのコーヒーはなかなか美味しいと思うものに出会えない。イタリアに行くと、すげー、と声が飛び出してしまう。ただ、濃いので、胃弱気味なぼくにはエスプレッソなら一杯が限界。なので、アメリカ―ノを注文する。ちなみに、日本の高級ホテルとかで出される昔ながらのアメリカンコーヒーはあまりに薄くて、どこか麦茶のようでちょっと…。フランスは戦時下、コーヒーが手に入らなくなり、麦茶のようなものをコーヒー代わりにしていた。ちなみにフランス人はアメリカのコーヒーのことを、jus de chaussettes、靴下のしぼり汁、みたいな表現で揶揄するのだけど、これ、トランプさん聞いたら、怒るだろうなぁ。このことをフランスの語学学校で最初に教えられた、と友人が昔言ってたのを思い出した。

滞仏日記「カフェで気合注入コーヒーの選び方」



たぶん、日本にコーヒーが渡った時からある種、日本的なコーヒーの淹れ方のようなものが確立してしまい、(アメリカの影響もあるのだろう)普通のコーヒーでも結構薄くて飲みやすいものが主流になったのかもしれない。一方、コクがあって深みがあって濃厚で苦味のあるイタリアンコーヒーは飲むと、ぶん回される。イタリアのカフェに入り、スタンドで出されるエスプレッソは、小さなカップの底に一センチも入ってないような超ドロドロのコーヒーで、「うりゃああ、行ってこい、まけんな、てめえ」みたいな迫力があって、ぼくはタバコが飲めないものだから、コーヒーが気付け薬みたいな役割を担ってくれてきた。腰に手を当て、ぐぐっと最後はすすって、よっしゃ、と気合を入れる。フランスはエスプレッソを薄めてるものをアロンジェと呼ぶ。だいたい、このアロンジェが日本の濃い目のコーヒーに当たる。

酸味をアシディテといい、苦味をアメルチュームというが、フランス語のニュアンスは日本語の酸味とも苦味ともちょっと違う気がする。粉っぽさの舌触りから、口腔での広がり、つんと鼻腔に抜けていく感じ、耳の裏側まで達するコーヒーの力具合など、苦い、酸っぱいの単語だけでは表現しきれない奥行きが勝負となる。フランスのコーヒーはこういう繊細なところへの気配りがあり、イタリアはそういうものを超越していて、構造的な勝利というのか、圧倒される。きっと、フランスとイタリアの緯度や気候、歴史の違いが仏伊珈琲の風味や味の差を生み出したのかもしれない。当然、一万キロ離れた日本のコーヒーが欧州のとは決定的に違っていても当然であろう。そもそも、水が違うので、軟水と硬水の差は決定的である。生きるためには軟水が必要だけど、コーヒーには硬水の方が美味しい気がするのは、もちろん、ぼくの独断だけど。前に東京のどこかの(西麻布界隈だったと思うけど)カフェで、しらずに飲んで、美味いと思って店主に聞いたら、硬水で淹れてます、と教えられた。なるほどね。

フランスはカフェのテラス席でエスプレッソを頼むと3ユーロくらいするところもある。同じ店でも店内だと2ユーロ40くらい、カウンターだと1ユーロ30で飲めるので、ぼくは一人の時はカウンターで立ち飲みをする。(店によってぜんぜん料金が違うので注意)イタリア人はスタンドに入って来て、飲んだら、飛び出す。あの人たちは気合を入れに来ているのだ。よし、ぼくも気合が入った。これを飲み干したら、マイカーの調子が悪いので修理工場まで出しに行かなくっちゃ。 

自分流×帝京大学