JINSEI STORIES

「息子が不意に打ち明けた苦悩の日々」 Posted on 2019/09/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今朝、息子との何気ないやり取りの中で、不意にあいつがこう言いだした。
「パパはぼくが何も不満を持たず生きてきたと思ってない?」
「何に対して?」
「この姿に対して」
ぼくは、え? と驚いて、皮肉っぽい顔で苦笑いを浮かべている息子を見た。
「ぼくはね、この国で生まれるのならフランス人の容姿で、フランス人として生まれたかった。日本で生まれたなら日本人の容姿がいいでしょう」
「なに? 意味が分からない。なんで?」
とあまりちゃんと考えもせずにぼくは言ってしまった。
「パパは日本人でフランス語もろくにしゃべれないし、どっちか言うと日本が一番と思ってる愛国者だからさ、きっとわからないと思うけど、フランス人の子供たちの中で、ただ一人、日本人の子供で生きてきたことがどんなか、ちょっとだけ、考えてみたらいいよ」
この話は、彼が学校に行く直前の出来事だったので、そこまでで終わったけど、ライブ会場へ向かう車の中で、息子が小学生の時にぼそりと言った不満を思い出してしまった。
「今日ね、幼稚園の子たちの面倒を見るという授業があって、ぼくとウイリアムとで行ったんだけど、子供たちがぼくを指さして、シノワ(中国人)というんだ」
この話は前回の美容院で「ニンハオ」と言われて彼が激怒した話に繋がる。つまり、息子はずっと自分だけ容姿が違うことが嫌だったのだ。フランスで生まれるなら、フランス人の両親の家庭に生まれて、みんなと同じような容姿で嫌な思いをせずに育ちたかった、ということである。

今日、ライブの後、何気なく、この話をうちのバンドのピアニストのエリック(お母さんが日本人)にしたらこういうことを言い出した。
「妹が3歳の時に、フランスに戻ることになって、ある日、幼稚園から帰ってくると、アフリカ人って嫌いよ、と言うんです。どうしてそんなこと言うの、と聞くと、幼稚園のアフリカ系の子が、シノワ、としつこく言ってくる。それで、妹は日本人であることを拒否してしまい、日本語も話さなくなるのだけど、30歳になった今、私は日本人よ、と回りに自慢してるんですよ。再び自分から日本語を勉強するようになって。シノワというのはアジア人全体に向けられた言葉で、なんで妹が怒るのかというとそこには、日本とか関係なく、全部アジアをひっくるめてのシノワというイメージだけがどんと聳えているからです。でも、妹は長い葛藤の末、自分のアイデンティティがそこにこそあると気が付くわけです」
ぼくは朝、息子が言った言葉とエリックの話しが繋がって、ハっとしてしまった。
「ぼくは逆に高校生まで日本で育ったから、当時、ハーフの子がいなかったので、外に出るのが嫌でした。東京でしたけど、外出すると、みんながぼくをじろじろと見るんで、ずっと家に引きこもっていた。息子さんの気持ちがわかります」

今日のライブはオーチャードホールの前哨戦だったのでほぼ日本語の歌ばかりを歌ったし、宣伝をしたわけじゃないので、知り合いばかりで80パーセントが日本人だった。でも、20パーセントのフランス人たちはぼくの日本語の歌を違った感じで受け止めてくれた。それはぼくらが子供の頃に洋楽を普通に聞いてきた感じに似ている。ぼくの場合、作家やミュージシャンであることで、日本人であることが一つの武器になるのだけど、息子の場合は、フランスで生まれ育っているので想像を超えて辛い思いで過ごしてきたことだろう、と今更ながらに思った。そんなのぶっとばしてやれ、と前回の日記で書いたけど、ぼくと息子は立場が違うので、ぶっ飛ばせない世界を生きてきた彼の人生にぼくはもっと寄り添うべきだった。でも、このくらい無頓着な父親だからこそ、彼は「しょうがないね」と苦笑いを浮かべて生き続けてこれたのかもしれない。バレーボールや音楽を通して、彼は自分の世界を表現してきた。そういえば、息子と一緒にフェンシングのワールドカップを見に行き、日本人選手が欧州の選手に勝っていく姿に自分のことのように拍手していた時のことを思い出した。フランスのフェンシングなのに、日本人がフランス人をまかすのが、あの子の心をスカッとさせたのに違いない。今日、ライブに太田雄貴選手が来ていたから、その時のことを思い出してしまった。「息子はあの試合のあと、日本のフェンシングのことをいつも応援してるんですよ」とぼくは太田さんに思い出しながら語った。

「息子が不意に打ち明けた苦悩の日々」

ライブが終わって、家に帰ると、息子が歯磨きをしていた。よう、と声をかけた。朝の続きをちょっとしたら、いつもの皮肉まじりの苦笑いでこう告げた。
「気にしなくていいよ。パパ、言っとくけど、ぼくはめっちゃモテるんだよ。なぜか、わかる? ぼくはアジアティックな容姿を持っていて、みんなと違うからね、目立つんだ。そこだけは安心をして、エルザやイロナやルワンヌだけじゃなく、女の子はぼくを通して日本の良さを知っていくからね。いつまでも差別はされないし、ぼくはこの切れ長の目でフランスの男の子たちよりちょっと得しているんだよ」
ぼくは小さくガッツポーズをした。よし、それでいい。頑張れ、と自分の部屋に戻る息子の背中に向けて呟いた。

「息子が不意に打ち明けた苦悩の日々」

追記、今日はライブ会場にデザイナーのコシノミチコ、コシノジュンコ姉妹が駆けつけてくれた。太田元選手はローザンヌから、そして驚いたことにクリスタルケイちゃんも来た。不思議な夜であった。つまり世界は繋がっているのである。