PANORAMA STORIES

「アントニオが語るセビリアの味」 Posted on 2019/11/08 辻 仁成 作家 パリ

旅をするとぼくは必ずその土地の誰かと知り合いになる。旅先で必ず行くのがその土地の市場、マルシェである。セビリアには三つの大きな市場があり、ぼくはそのうち二つに足を運んだ。まずは宿に近かったので、有名なエンカルナシオン市場に行った。セビリア市のシンボル的建造物メトロポール・パラソルの下にあり、市場らしからぬ近代的な生活感のない場所で、どちらかというと地元民向けというより、観光客向けの高級食材店施設であった。入った瞬間にここはぼくには関係ない場所だと悟り、次の市場へ向かうことになる。ぼくは人間が見える、生活を感じる、人間臭い市場にしか興味がない。

「アントニオが語るセビリアの味」

そこから徒歩で15分ほどの住宅地にあるフェリア市場はセビリア市内で最も古いムデハル教会に隣接し、規模も小さく、とてもじゃないがこぎれいとは言えない。とうぜん、ご近所さんらが集う超庶民的な市場だ。魚屋の棟、肉屋系の棟、八百屋系と狭いが三つに分かれている。魚セクションにはその場で食べることのできるフードコートのようなものが隣接されていたが閉店中で、或いはもうやってないのか、その栄枯盛衰なサビれた感じも趣があった。そこでぼくはアントニオと出会った。笑顔の素晴らしい、活力あるおっさんだった。おお、おっさんずラブに出てきそうだ、と思ったとたん、ぼくの相好が崩れた。

「アントニオが語るセビリアの味」



アントニオは表通りに面した角地の肉屋で働いている。オーナーが70代と高齢なのでどうやら店をある程度任されてるようだ。この店には裏手にベジョータ・ハムを販売する立ち食いコーナーがあった。「飲めるの?」というと「シー」と返って来たので、楽しくなり、ぼくは朝っぱらから生ハムをつまみにカヴァ(泡)をあおった。アントニオは忙しいのにたくさん話しをしてくれた。前の奥さんのおばあちゃんが日本人で「としこさん」というところまで…。いつの時代の人で、どういうご縁でその人たちはスペインと関係があったのだろう、とぼくの空想が膨らんだ。アントニオはぼくにベジョータの魅力を力説してくれた。足のつま先が黒いのが特上のベジョータのブラックラベルでそれはかなり美味い。もちろんかなり高い。で、彼はそのショルダーの方がもうちょっと安いし、実は美味いのでお勧めだよ、と教えてくれた。確かに美味しかった。でかいイチジクみたいな大きさのオリーブや塩揚げしたアーモンドなんかも出してくれて、ぼくは朝からご機嫌になった。

「アントニオが語るセビリアの味」

何より、アントニオの人柄がいい。ぼくが市場の通路で一人飲んでいると、近所のおじいさんがやって来て、ここは美味いんだよね、君は心得てるね、と自慢して帰っていった。うんうん、とぼくは頷いておいた。そのおじさんが退役軍人みたいな感じで、とっても絵になったのだ。

旅というのは誰と知り合い、仲良くなるか、でぜんぜん醍醐味が違ってくる。史跡巡りとか一切興味がないのでぼくは旅行に行ってもいわゆる観光はしない。で、だらだら旧市街を歩き続け、地元民が出入りしている店を探し出しては、そっと忍び込み、ついでに仲良くなって、その土地のものをしこたま食べ漁っている。料理好きなので、こういう旅はいわば新しい味やレシピを求めての旅でもある。そうすると身体全体がその土地の素晴らしさを悟ることになる。セビリアは豚が美味かった。豚肉のウイスキーソース掛けはとくに絶品であった。

「アントニオが語るセビリアの味」

「来年、またね」
ぼくはアントニオと握手をしそこを離れることになる。
食べたものよりも、誰と出会ったか、で旅というものはぐんと素晴らしくなる。まず、地元民に愛される市場へ出向き、誰かと仲良くなり、そこでしか食べられないものを食べて、そこからスペイン人を知る、これが辻流の最高の旅の楽しみ方なのである。

(後日談だが、そのことを料理専門誌の編集に伝えると、詳しく取材をしてほしいということになり、ぼくはベトナム系フランス人の通訳を急遽ネットで探して、もう一度アントニオに取材を試みることになる。アンダルシアの肉の生産地についての取材であった。帰りに編集部あてにベジョータを大量に買ったのだが、パリから東京への生ハムの持ち込みが最近になって禁止されたことを忘れていた。仕方がないので息子への土産にするか…)

「アントニオが語るセビリアの味」



Posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。