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「人間ががっかりしないための唯一の方法」 Posted on 2020/01/09 辻 仁成 作家 パリ

がっかりするというのはどこかで期待したからであり、その期待が裏切られたと思う時にぼくらはがっかりする。幸せを心に描くのは人間の特技なので悪いことじゃないのだけど、心に描いた幸せが必ず実現される保証などないのにその時が良いとどんどん必要以上の期待感を持ってしまうのが人間でもある。ところが期待というのは願望に過ぎないので向き合う相手の勝手であっけなく消え去ってしまうことが多い。期待が厄介なところは、期待が期待を招いて、人間関係がうまくいっている時には、想定以上に期待は膨らんでしまう。人間はちょっといい思いをすると、期待し過ぎてしまう。期待が期待を招いて、最初は謙虚だったのに、必要以上の幻想の幸福を描いてしまうようになる。ところが期待した相手も人間なので、相手もこちらに期待していたものがある。幻のような期待感が両者の間で身勝手に膨らんでいたわけだ。こういうものが何かの事情や原因で崩壊するときに人はがっかりするのだけど、そもそもの原因は期待し過ぎたからだということに人間は気づかず、相手を否定しはじめる。相手の立場や相手が抱えている現実などは見ようともせず、身勝手にこんなはすじゃなかったと思いがちになる。お互いがそう思うので期待は現実に駆逐されてしまって喧嘩になる。喧嘩ならまだいいけれど、人間不信になったり、心を病んだりする。だから、最初に傘を用意しておくべきなのだ。一番最初に、用意しておく。

「人間ががっかりしないための唯一の方法」



晴れた日ばかりではない。雨の日もあるし、嵐の日もあることを快晴の時に考えるのは難しいけれど、幸福だなと思う時に、それが永遠でないことを自分に言い聞かせて、逸る気持ちを常に少しずつ諫めておくと傷つかないですむ。人を信じるなということじゃなく、人に自分の身勝手な思いを丸投げするな、ということである。信用する、というけれど、ぼくはそれを心の丸投げと呼んでいる。期待しないで許し合える関係がいい。無償の愛のようなものである。ぼくが自分の息子に持っている愛情はこれだ。もちろん、ぼくは息子に期待もするし、信用もしている。頭からこの子に何かをしてもらうということを一切考えたことがないだけだ。この子が幸せでいられることが自分の幸せだから、取引を持ったことがない。これを無償の愛と呼ぶのだと思う。期待して何度も何度もがっかりしているうちに、ぼくはある時から、期待を捨てた。ぼくは誰でも彼でも信じることはない。冷たい言い方かもしれないけれど、信じるというのは相手に委ねることになるので、そういうものへ期待はしないということである。でも、その人たちが本当に好きなら、損をしてもいい、この人ならば、と思って向き合うようにしている。最初にしっかりとそのことを自分の中で決める。時々、この人の笑顔がいつか鬼形になったとしても、ぼくは最初にこの人を認めたのだから、構わないと思えばいいだけの話だ。期待なんかしなくても幸せを手に入れることはできる。がっかりするくらいならまだしも、落ち込んで心を病んでいては人生が悲惨になる。幸福な時にも鞄の中には土砂降りを想定して小さな折り畳みの傘を持って歩くような距離感をぼくは大事にしている。期待しそうになると、「期待しない期待しない」と自分に微笑んで軽く回避しておく。年を重ねてから、幸福や不幸に振り回されるのはよくない。息子の幸せそうな顔が自分の幸せだと思える時に、ぼくは生きていることに感謝をする。こういう無償の愛だけで、十分なのである。無償の愛があれば、孤独でも幸せになる。

自分流×帝京大学

Posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。