PANORAMA STORIES

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」 Posted on 2020/01/17 辻 仁成 作家 パリ

どこかに行くためだけじゃない旅もある。ぼくと息子は世界中を旅してきた。こんなに世界中を旅した父子がいるだろうか、というくらいに…。
バンコク、ホノルル、ソウル、アテネ、イスタンブール、マラケシュ、カサブランカ、セビリア、ロンドン、レイキャビク、リスボン、バルセロナ、モスクワ、ローマ、フィレンツエ、ミラノ、ナポリ、プラハ、ウイーン、ブリュッセル、エトセトラエトセトラ…

けれども、観光地を歩くことはほとんどない。ここだと思って飛び込んだプティホテルの周辺を散策する、だけ。グランドホテルに泊まることもあったけれど、でも、プティホテルが多い。最近はAirbnbもお気に入り。小さければ小さいほどに父子の絆が強くなる。ぼくらはホテル周辺を歩き回る。近くのカフェとか、公園とか、書店とか、スポーツ用品店とか、ともかく、ガイドブックには載っていない場所ばかりを探して、旅する。
たとえば、雨が降ったら、もうホテルから出ない。ラウンジや、サロンや、ロビーの椅子の上で音楽とか聴いたり、画集を眺めたりして過ごす。会話はない。でも、近い。これは本当にいい関係が生まれる。時間に追われない、贅沢な旅である。



ところが、意外にも、感じのいいプティホテルを探すのが難しいのだ。そもそも、いいホテルというのはリピーターで奪い合いだから、空きがない。
それをネットで探すのが、まず旅の第一歩となる。
センスのいいプティホテルが多く存在する都市は文化の成熟度が高いと断言していいのかもしれない。

コペンハーゲンはまさにそういう理想的な環境を持った観光都市でもあった。

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

コペンハーゲンの数あるプティホテルの中で私が特に好きなのがここ、アレクサンドラ。

ゴージャスなホテルではない。庶民的だけど、雰囲気が良い。何よりセンスが光っている。立地も最高。
しかも、そこそこリーズナブルなのだ。

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

フロント前の狭いラウンジで、個性的な椅子たちが私と息子の到着を待ち構えていた。
嬉しいことに、デンマークデザインの三大巨匠、ヤコブセン、フィン・ユール、ウェグナーの椅子が揃ってる。
もちろん、座り放題(笑)。
しかも、各部屋にその巨匠たちをはじめデンマークデザイナーによる素敵な椅子が一つずつ置かれてある。
なんともオシャレじゃないか。

私がここを決めた理由はまさに椅子であった。

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

趣のある階段を上り、古めかしい廊下を歩き、部屋に入ると、思わず笑みがこぼれた。
ゴージャスではない分、細かいところに工夫が凝らされている。
ベッドの読書灯が楽しかった。

壁から伸びた蛇腹の先に古風なスタンド傘付きの照明。灯りを好きなところに持っていくことが出来る。

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

デザインの国に来たんだな、という実感がわく。

天井から吊るされた現代風の照明は特に普通だけど、もともとの位置からあえて部屋の隅までコードを引っ張り固定してある。大工事をする予算がないからか(?)、それともあえての演出か、コードを延長させることで設置場所を変え、室内に不思議なムードを与えている。

狭い風呂も狭いことを逆手にとったような作りで、まるで北欧潜水艦のシャワー室。
とにかくお金をかけず最大限のセンスでやりくりしているところにこのホテルの可愛いらしさ、遊び心がある。

それでいて、ホテル全体が、どっしりした風格を持っている。なんとなく安普請なのになんとなく立派という不思議なホテル。宿代が最高級ホテルの半額なので、文句を言っては罰が当たる。

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

しかも、ホテルのメインレストランというのが中庭でつながる隣接のアジア風屋台料理店Lêlê。
「パパ、まさかのコペンハーゲンでB級グルメ。大丈夫かな」と最初は疑っていた息子だが、一口食べて、うまい! 結局完食であった。

プロデュースは地元でも有名なベトナム人シェフ、Anh Lêさん。デンマーク人のセンスに笑みがこぼれっぱなし。まさにホテルフェチ冥利に尽きる。

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

真裏に屋外ライブハウスがあって、日曜日の夕方から息子とそこで北欧ロックバンドの演奏を楽しんだ。
週末の営業らしいが、出入り自由。
劇場街、飲食街、目抜き通り、どこへでも歩いていくことが出来る好立地。
疲れたらホテルに戻り、三大巨匠の椅子に腰かけ、英気を養う。

大通りから降り注ぐ光りが美しく、旅の疲れが癒される。

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

ホテルの部屋にはやっぱり一つ、素敵な椅子が置かれてあった。
狭い部屋なので、椅子一つで他には特に何もないが、私が腰を下ろすと、息子が「似合ってるから写真を撮るよ」と言い出した。

昔、80年代に通い詰めたニューヨークの定宿、ワシントンスクエアホテルを思い出した。
そう、まさにここも定宿にしたいホテルである。

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

リピーターというが、客は好きになれば必ず戻ってくる。豪華なシャンデリアを見に戻る客はいない。
思い出を辿るために戻るのだろう。我が息子はこう言った。

「パパ、ぼくはコペンハーゲンが世界で一番好きな街になったよ」

「どこかに行くためだけじゃない旅の極意」

Photography by Hitonari Tsuji (except the last photo by Tsuji Jr.)



Posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。